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@btf「自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負展」その顛末〈根本敬・記〉
1.@btfでの展覧会そのいきさつ

そもそも。2012年4月~年5月、前年長崎歴史博物館での「えびすリアリズム」に次ぐ、伊豆・天城で開催の蛭子さんの展覧会。長崎同様アート関係者は関与せず、所属事務所がイベンターの手をかりて開いた、漫画・イラストを描く芸能人・蛭子能収の展覧会。イベントの目玉というべき「ゲスト・みうらじゅん&リリー・フランキーによるトークショー」が5月13日に行われ、蛭子さんというより、みうらさん、リリーさん目当てに5百人もの客が、連日終始閑散としていたミュージアムに押しかける。
 終了後、皆で天城に一泊。蛭子展覧会を見たリリーさんの発案で、リリーさんの知人(♀)が今度キュレーターを務めることになったギャラリーがあり、「そこで蛭子さんと根本さんの二人で展覧会をやったらどうですか」、という話しをリリーさんが蛭子さんにする。
 何でもリリーさんが個人的に絵の展示を見たいと思い、尚且つ今欲しい絵が二人の絵で、その時は自分も絵を買えれば、といった事をはじめ蛭子さんに、そして橋渡しした@btf(アット・ビー・ティー・エフ)のキュレーターTjT子さんに語ったそうだ。
 蛭子さんは天城から帰り間もなく、勝どき橋にある近富倉庫の3階と4階でギャラリースペースを営む@btfへ足を運び、キュレーターのTjさんに会う。会期は来年(2013年)の1月でお願いしますと告げられる。蛭子さんはその場で「オレはやります。根本さんには電話しておきますから、その後にTjさん連絡入れて下さい」となる。そして蛭子さんから根本に電話があり、先のいきさつを語ると「会場は倉庫だから、しかも3階と4階に分かれてて、とにかく広いんだよ。あれ埋めるのかなり大変やけど、まあオレは天城の大きいの持ってけば埋まりますけどね、でも根本さんは大変だねぇ―。でもね、リリーさんから来た話しだから、やってね。だってリリーさん、みうらさんと来てくれて5百人入ったんだよ。そんでリリーさん俺達の絵を買いたいんだってさ」
「それはともかくスペース見てからでないと、簡単に返事出来ないよ」
「とにかく、べーテーエスのTjT子さんって女の人から電話あると思うから、よろしくね」そう言って蛭子さんは電話を切った。
 翌日か翌々日に、べーテーエスではなくビーティーエフ(@btf)のTjさんという女性からその展覧会の件で根本へ電話が来る。
 電話口のTjさんは熱く、しかし品良く、「とにかく、うち(@btf)としては、この度リリーさんから頂いた、蛭子さんと根本さんの展覧会を是非お願いしたいんです。何卒よろしくお願いします」と、熱意をもって語る。
「蛭子さんの話しによれば相当広いんですよね」「ええ、でも広い分、うちのスペースはバッチリですから、有効に使って頂ければ。それから‥」
「え、それから?」
「この展覧会は絵を見せるのはもちろんですが、それだけでなく、ちゃんと絵を売りたい。絵を売る展覧会にしたいんです」
「俺や蛭子さんの絵は売れないですよ」
 そういうと、Tjさんは冗談っぽくだったかもしれないが、キッパリとこう言った。
「大丈夫、リリーさんが買ってくれますから」
以後度々Tjさんの口からこの言葉を聴く事になるのだが、「リリーさんに買わせるために絵を描けというのか?」と、最初は、その時は、極小さな疑問符が頭に浮かび瞬時に消えたに過ぎなかった。
 それよりも、そんなやたらと広い、倉庫などというイメージとして、ガラーンとした、しかも1月の、寒々しい空間を、それも複数のスペースを埋める(しかも「売れる絵」で)という自信が、そもそも展覧会そのもののイメージが俄かに涌かず、「とにかく近々一度スペースを見に行きそれから考えさせて貰います」、とその日は電話を切らせて頂いた。実際、その時の俺は正直この企画にどうしても気が乗らなかった。
 数日後5月27日、ロフトプラスワンでアックスのイベント「コロボックルの夕べ」が催され、そこに多分高めのものであろう赤ワインを持ってTjさんが現れ、丁寧に、そしてにこやかに「Tjでごさいます」と挨拶され、「展覧会の方、くれぐれも前向きにご検討下さい」とお願いされた。初対面のTjさんは今にも、自らの胸、乃至、腹をパンッと叩き「任せてときい!」とでもやりそうな頼もしそうな印象の女性で感じは悪くなかった。
 が、どうも俺は気が乗らず、当時なかなか勝どきまで足を運ぶ時間もなかった事も手伝い、先延ばし、先延ばしし、それから2ヶ月と少々「保留」した。
 その間、キュレーターのTjさんは根本月例のアップリンクファクトリー「映像夜間中学」に通い、尚且つその他のイベントにも来てくれた(尚、承諾した後もTjさんは夜間中学や根本イベントにしばしば顔を見せた)。そうして「とにかく一度@btfへお越し下さい」と懇願された。
 そして8月になろうかという猛暑の頃、俺は初めて@btfを訪れた。
 その時は蛭子さんも、そして、既に@btfではさかのぼる事約1年前、東京キララ社刊・吉永マサユキ カメラマンの労作「SENTO」の写真展をそこで開催(担当はTjさんの前任者。既にこの時退社)した同社、中村保夫社長が同行。
 初めて実際に見る@btfの空間の大きさ、だだっ広さ(もっとも最終的に狭く見えた上、実際スペースがなく空き空間づくりに苦慮するのだが)に気分的に圧倒され、即座に「やらせて頂きます」とはやはり言えなかった。
 しかし、ニッコリ微笑むTjさんのやる気が俺の背を突いて来る。 また、終始にこやかに笑みを絶さない、社長である青木さんも、「このスペースをどうぞ根本さん、蛭子さんのお好きな様に使って下さい」と俺の快い返事を待っている様子だ。
 結局、Tjさんと青木さんの人柄(印象)に押される形で、俺は重い腰を上げる事をようやく決意した。
 ‥今となってはまさかかの様な展開が半年後待ち受けてるとは文字通り夢にも思わなかったが、その時はそういうタタズマイのまるで理想的なカップルであるかのような、二人なのであった。



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2.2013年@btfの顔?蛭子+根本カレンダー

9月に入り、2度目のミーティングの日を迎える。前回は全くの白壁のガランとした空間だったが、その日は、「展示中ですから、また違った見方が出来るのではないですか」とTjさん。
 そして打ち合わせにはリリーさんも同席するという。
 また、ミーティングの後、青木さんが食事でも、と言ってるとも耳にする。
 行くと、開口一番、Tjさんが「申し訳ございません、リリーさんは都合がつかず今日は来られません」と謝って来た。
 それはいいとして、前回と違い確かに作品が展示されている様を目の当たりにすると随分と見え方も違って来る。
 気持ち、初見の時より気は楽になった。
 が、青木さん、Tjさんが「どうぞお好きな様に」と前回同様に、二人してにこやかに言って下さるのに、どう空間を埋めるか、思案は続く。蛭子さんは特にアイディアはなくボケッと眠そうにしている。
 そうして雑談などしていると、青木さんが、「こういうものがあるんですが」と、自社のカレンダーを出して来て、こう言った。「来年のうちのカレンダーをお二人で如何ですか?」。
 @btfというか「本社」であるバタフライ・ストローク・株式會社では前年深く関わったり、その年にギャラリーで展覧会を行う予定の作家などから選んでその作家の作品でカレンダーをつくり、それを、付き合いのある企業、事務所、個人、等々「業界」の方々に贈るのを慣例としているという。
 Tjさんもにこやかに、「あら素敵、是非お二人の絵でうちのカレンダーをつくれたら素晴らしいですわ」、と、にこやかに俺の「快諾」を待っている。(蛭子さんは「根本さんがやるなら俺はいいよ」というスタンス)
 が、ここでも俺は、いつになく慎重だった。返答するまで、頭の中をこの會社のフォーマットに合うもの合わないものは、また意外性を生むとしたら、如何なるものか?と、思案した。無論その間、蛭子さんは眠たそうにしている。そうして、カレンダーのため蛭子さんと自分で共作の画を12枚描こうという話になった。そしてその12枚の共作を中心に据え、両者に与えられたスペースを構成して行こうという事にその日はなった。
 ミーティングが終わった。時刻は6時を回っている。
 「その後、お食事でも」と聴いていたが、そんな話には青木さんもTjさんも一切触れず、「それじゃあ」と、その日はそのまま解散した。
 青木さんさぞや忙しいのだろうと特に気にせず、@btfをあとにした。(今にして思えば、先方様が用意して下さった立派な自慢のスペースでやるやらない、を「偉そう」に引き伸ばし、はたまたその年の自社の顔となるカレンダーをやらせて差し上げるというのにスンナリ「はい、有り難く!」と即答・快諾せず、いちいち引っ張るだけひっぱるこの俺に青木さん達は内心苛立っていたのかもしれない。しかも今にして思えば二人とも本来そういう人間じゃないのに、精一杯下手に出ていたとしか考えられない。今にして思えば‥)

3.そして根本嫁の参入

その後Tjさんとメールや電話で、またはTjさんがお顔を出してくれた(必ず気のきいた手土産を「お子さんに」とか「ご家族に」と手渡してくれる)アップリンクファクトリーなどでやり取りを続けた。アップリンクまで度々来ていたTjさんは、ラジオ「新ドンパス」など現在の俺が何をしているか、直接聴いて、見て、把握していたはずである(と俺は思っていた)。尚、会期は2013年1月18日から2月24日までと決まった。
 10月12日に3回目の@btfへ向かう。
 尚、その日は、根本嫁(根本註※11年~ それ以前の根本嫁とは別人)も同行した。
 根本家で「家作」という自社ならぬ自家ブランドを立ち上げ、その第1弾のバレーシューズ2種(タケオのコサージュ付きの根本モデル、「私はバカになりたい」の装丁、見返しイラストをイメージした蛭子モデル)を@btfの二人展に向けてつくり、ギャラリーで先行発売させて欲しいとのこちらからのお願いと、蛭子さん側に展示アイディアが皆無なので‐イベンターの仕切った長崎歴史博物館~天城ミュージアムでの、「アーチストとしての蛭子能収」という視点の著しく欠落した、それまでの展覧会との違いを明確化するために、設営のアイディアを俺と嫁(結果、99%は嫁のアイディアによる設営となるのだが)が、「本人代行」と、いうか、お手伝いさせて頂く事になるなど、とにかくそんなわけで、根本嫁がこの日から参加する。
 自家ブランドの話しを、すなわち、根本+蛭子さんモデルのバレーシューズの話しをすると、その当時のTjさんらしく、いつも通りにこやかに、「素晴らしい」と言って称えてくれた。
 (しかし。これまた今にして思えば。Tjさんは下の者、とりわけ同性には厳しく接し、才能など自分よりあらばトコトン潰しにかかるタイプだ。そんなところへ、自分とは下手すると親子程離れた小娘が「作家の妻」としてしゃしゃり出て来ては面白くはなかったろう、今にして思えば‥)

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4.不思議なメルアド変更

幾度かミーティングを行い、展覧会の準備を進めていた。が、11月に入ってからまずTjさんから、7日にこんなメールが入る。根本様cc奥様として「実は唐突に日曜、携帯を買い替えまして、以前の携帯アドレスがなくなりました。正に衝動買いです。誠に恐縮ですが私のアドレスを書き替えて頂けますでしょうか。引き続きよろしくおねがいします。Tj拝※原文ママ」というものだが、妙な事に、新しいアドレスは、今までこちらとやりとりしていたものと同じアドレス(それも個人でなく会社のアドレス!)なのであった。しかも、蛭子さん側にはこのメールは送られてない。一体何だったのだろう?そして数日後、Tjさんより何と「会期の変更」を打診というより既に決定事項とした留守録が入る。ムッとして、放置させて貰う。すると11日、
 Tjさんから「先日は電話で失礼しました。〈展覧会会期の件〉当初、1月18日から2月24日の予定を●2月1日(金曜日)から2月24日(日曜日)に、お願いできないでしょうか。明日、あらためてお電話致しますが、何卒ご理解いただけますよう重ねてお願いいたします」というメールが着信する。更にしばらく放置。
 数日経って、ようやく電話で話すと「誠に申し訳御座いません。私、どう話したらよいやら、根本さんに怒られたら、と、ずっと悩んでましたの。実は青木の師匠に当たる方が、どうしても1月に展示をしたいと‥。青木もその方には断るにことわれず、そこで根本さん蛭子さんにお願いしたく、連絡差し上げました、本当に申し訳御座いません」と平謝りした。が、どこかふてぶてしさを感じたのだが。
 そんなわけで、当初1月18日から2月24日までだった展覧会が、2月1日から24日までと、約2週間短縮になった。
 1月18日から@btfで展覧会を始めるのは仲条正義だった。

5.蛭子・太川陽介路線バスの旅スペシャルがネックに…

会期の変更は、そこを照準に気持ちを少しずつ、そこへそこへともって行こうとしていた者の腰を折る。しかし、いつまでもそこに囚われている余裕もない。
 カレンダーに使用する、と、同時に展示の中心と考えている、二人の共作画(B全のボード12枚)を仕上げなければならない。蛭子さんと、青林工藝舎の一室を借りて、何度か共同作業のため集中して仕上げようとするのだが、蛭子さんの芸能活動が忙しく、来られたり、来られなかったり、来られても途中でまた仕事に行ってしまったりと、こちらが合わせようとしても、なかなか足並みが揃わずに進まない。
 しばしば終電まで工藝舎に残り、ひとりで作業したが、描き過ぎれば自分の作品にどうしてもなってしまう。
 尚。その頃には展示は4階のABどちらかにふたりの作品を振り分け、それぞれエレベーターの前後のドア出入り口により、「蛭子口」「根本口」(最終的に4Aが「蛭子口」4Bが「根本口」となる)という、ふたつの入口を来場者が選んで入場する、と、いう事になった。
 そして3階のBスペース(3階Aは@btf自社オリジナルグッズのショップ)に「蛭子・根本の近しい人・関連人物(同じハッテンバ・プロダクションの佐川一政さんとか)のドローイング=蛭子&根本シンジケート」の作品展示や、映像、または両者のはみ出た作品などを「自由自在」というより「臨機応変」に展示を行う空間にする、という事になった。オープンの時には結局二人の共作もこの3Bに収まるのだった。
 さて、12月に入りカレンダーの締切が迫るが、蛭子さんが、太川陽介と行く「路線バスの旅スペシャル」はじめ正月番組の録りで益々時間がとれなくなり、根本ひとりではどうにもならず、タイムリミットを迎える。
 仕方なく、双方のアリモノでカレンダーを作成する事となり、蛭子さん側は長崎、天城の展示作のデータを、工藝舎高市さんのパソコンから送り、俺はたまたま東京キララ社にあった05年、ビリケンギャラリーや京都のトランスポップギャラリーに展示した作品データの入ったCD‐Rを渡す。
 この一点。後にも先にもこの一点に関しては@btfに対してこちらが約束を果たせずに、大変失礼いたしました、とその一点は思う。(但し、このカレンダーそのものにも、実は不可解な点があるのだが、そこは後日改めて記します)
 さて、カレンダーの次はDMだ。
 結局描きかけの共作の中で8割方出来ていたものを自分ひとりで完成させ、間に合わせた。

 片やふたりのバレーシューズである。浅草の「北條プランニング」というところが、根本靴(正式な見本の叩き台的前段階のものは一足出来ていたが)蛭子靴の見本を1月中旬まで何とか上げてくれるというので、11月26日、我が家の全財産であると言って過言でない、45万円を同社に振り込んだ。

6.とてもおっかないTjさんの別の顔を初めて目の当たりにする

11月、12月と度々、俺と嫁は@btfでTjさんとミーティングをして、少しずつあれこれ詰めて行った。
 12月後半のある日、ぼちぼち帰ろうとすると宅配業者が沢山の大きな段ボールを運んで来た。
 それは出来上がった、カレンダーだった。
 箱が開けられ手に取るまで、ちょっとワクワクした。
 と、いう時に、それまで朗らかに、にこやかに会話をしていたTjさんが自分より当然身分の低い宅配業者の人達に「そこに置かないでよ!何やってんのあんた!!カァッ!」とばかりに、我々に見せるのとは全く違う怖い顔で、とにかくヒステリックに怒鳴り散らしたのだ。
 俺と嫁はさりげなく目を合わせ、双方がその時感じた同じ思いを確認した。

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7.床にコインをはめ込む提案

年が明けての1月17日、設営の具体案(特に4A蛭子スペ―ス)をその日は詰めた。
 根本嫁が蛭子さんの代表作「地獄に堕ちた教師ども」と「私はバカになりたい」からの印象的なシーンを生かしたいと、次の提案をした。・4Aには丁度床にひびが入っている箇所が散在するので、「愛の嵐」に倣い、そこにコインをはめ込む。
 ・入って正面の白壁に「不確実性の家族」で印象的な「大阪城入口」の絵を蛭子さんに描いて貰う。
 ・また、絵と絵の間の壁に、蛭子さんの絵を見て「ウットリ」する「芸術家は怒った」から動物たちを描いて貰う。
 そして嫁は「エレベーターの蛭子口がある4Aのボタンを「地獄」という文字に期間中代えられればそうしたい、との提案をした。
 まず、床のコインだが、こちらは現物のコインを使用するにこしたことはない、と思いつつも、「駄目ならおもちゃのコインでも本物っぽいものならOK」と考えていた。
 しかし@btf側‐キュレーターであるTjさんは「大丈夫です」と言う。それから、蛭子さん当人や設営専門業者の方も含めた皆で試しに、床のひびにコインをはめ込んでみた。
 「いいんじゃないですか、これは」と皆で面白がった。
 それから、地獄行きのボタンである。
 これは「うち(@btf)だけの問題でないので、この倉庫の管理事務所に明日、私が掛け合い、出来るかどうか相談し、その結果は明日、根本さんの奥様に報告いたします」とTjさんが、まかせといて!とばかり、にんまりと微笑みながら言った。
 次に。再び席に腰を下ろして、珈琲のおかわりを飲みながら「他には何か‥」といった話の時に、物販が長崎~天城の図録といえない図録と、ポストカード数種しかない蛭子さんが「Tシャツとか今からじゃ間に合わんよね」というので、俺が「街に今結構1枚から作ってくれるところがあるから、そういうところでつくったら?」と言うと、蛭子さんは「でも、安っぽいと売れんよね。ああいうのってちゃんとデザインして良い生地でつくれば結構売れんじゃないかと思うんですよね」と言った。
 するとTjさんが「じゃあ、青木のデザインで、うちがつくりましょうか?」と。
 蛭子さんが「俺のだけ、根本さんとふたり?」と尋ねる。
 Tjさんは「明日の会議で青木に提案してみます。青木がどう判断するか。青木も凝り性ですから、やるとなると、ここの部分はどこそこのあの糸を使って縫うとか、やり出すと大変ですから」
 と、そんなに手間のかかるTシャツがあとジャスト2週間で出来るものかと、ちょっと疑問に思う俺だった。
 が、その日の締めに入ったTjさんはこう言った。
 「ボタンの件、Tシャツの件、とにかく明日根本さんの奥様に結果を報告します」と。

8.転がる石は誰か?

ところで、その日、一向に「靴、出来ました」の連絡が来ない、北條プランニングに嫁が電話すると、会社の電話も、社長の携帯も「お客様の都合で‥」と繋がらない。嫌な予感にかられる。
 翌18日にふたりで直接会社へ行くと、案の定シャッターが閉まっていた。隣りの靴問屋に尋ねると、11月の28とか29とかその辺に倒産して社長は夜逃げしたという。
 その日、職人さん達が出勤するとシャッターに「倒産しました」と社長が手書きした貼紙がはってあり、以来音信不通。職人さん達は途方にくれたという。
 俺と嫁は「‥展覧会に間に合わない」と、愕然としながら、とりあえず、体が冷えたので、仲見世方面に向かう途中に見掛けた、風情ある純喫茶の扉を開けた。すると、瞬間、絶妙のタイミングで、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリングストーン」がかかった。
 その時、それは夜逃げした、如何にも女癖の悪そうな北條プランニング社長の事を歌っていると思ったものだが、今はバタフライ・ストローク・株式會社社長、青木克憲のいずれテーマソングになるものと確信している。(根本註※「真理先生」P.118「男と男の結婚・男 友情の旅篇」とBディラン対訳参照されたし)

9.Tjさんの様子が徐々におかしくなる‥

靴の件に関しては、その後、ツテを辿り、北條プランニングにいた職人さんにシャッターを開けて貰い、一旦返した根本靴見本の叩き台的試作、皮、生地、木型、金判などは取り返した。そして職人さんのネットワークで、オープニングギリギリになるが、サンプルのない蛭子靴だけ事情が事情ゆえ大急ぎでやってくれるという職人さんを紹介され、本当に前日にギリギリ上がった。
 それはともかく。
 翌日、地獄ボタンとTシャツの結果報告を連絡してくれると言っていたTjさんが、一向にうんともすんとも言って来ない。
 それまでは、こちら側と例え気まずい空気が流れようが、約束した用件、特に連絡事項は必ずきちっとしていただけに、どうしたのか?ノロウィルスか?とちょいと心配したりもした。
 そして、あの日のミーティングから3日経った20日の日曜日やっと連絡がとれた。すると、Tjさんは3日も連絡をとって来なかった事などどこ吹く風で、それには一切触れずにこう言った。
 「地獄行きのボタンは管理会社からまだ返答が来ませんので。Tシャツは、会議にかけましたが、青木も忙しいですから、簡単にお返事出来ず、顔をしかめていて、そちらもまだ返答は頂いてません。両方とも明日(21日)には分かると思います」
 しかし翌日も連絡はなく、翌々日連絡が来て、Tjさんはこう言った。
 「地獄行きのボタンはNGです。ですから、エレベーターの中ではなく、蛭子さん口の出入り口に取り付ければよろしいかと」
 そしてTシャツには一切触れて来なかった。更に翌々日24日になって、ようやく「Tシャツは青木が頭を抱えて考え込んでいて、まだ私も返事を貰えません」
 そうしてオープニングまでいよいよ、あらゆる事が立て続けに忙しくなり、Tシャツの件はウヤムヤにフェイドアウトした。
 今から考えるに、オープンの僅か2週間前の17日に蛭子さんが「Tシャツつくりたい」と言って、Tjさんが「ならば青木に‥」と言って来たわけだが、あの時点で最初から蛭子&根本Tシャツなど、Tjさんはわざわざ展覧会のため@btfでつくるつもりもなく、青木にその事自体伝えてなんかいないだろう。
 このあたりから、いよいよ俺と嫁はTjさんに大いに疑問を持たざるを得なくなるのだ。‥しかし何故そんなその場でいい加減な事を、担当キュレーターが口にしたのか?今だに謎である。
 しかし。
 @btfとはかように、俄かに理解しがたい現象を多々生み出す、奇妙な場なのである。

10.私のジャガーで伺います。

そんな事があっても、とにかく、目の前に迫った展覧会である。
 こちらもなるべく、Tjさんを信じようと努め、設営他沢山の懸案を前に、オープニングまであと1週間というその日、また嫁と連立って、@btfへ赴く。
 人というものは、その関係に危さを感じた時、険悪さの次には、やたらと親しげに振る舞ったり、快活に話したりするものだが、その時、Tjさんとこちら側はやはり楽しげに 「いよいよですね、ワクワクしますね」とにこやかに話しをした。
そんな時に、Tjさんが、俺が何かの要望(多分、「ドローイングを他の色々なものと組み合わせた、インスタレーションみたいなものに4Bは落ち着くと思いますが、それで構いませんね」とのお伺い)をした際に、ニッコリしながらこう答えた。「ええ。何でも作家さんの要望にはこたえるのが、うち(@btf)の方針ですから」そして次に、にんまりしながら、展覧会のタイトルに倣いこう表現した。
「青木が自由自在なら、私は臨機応変ですから」…。
 搬入は1月28日(月)、設営の日は29日(火)だが、俺は数ヶ所に分散して置いてある作品や展示物を、各々誰かの車で運ばねばならない。青林工藝舎は蛭子さんの車で。京急子安の幻の名盤解放同盟倉庫に置いてある物は船橋英雄の車で。自宅、実家のものは自力で。そして、東京キララ社(神田神保町)に置いてある、大量のドローイング、剥製、奥崎謙三や平やん、其風画白(伯)のヒトガタなど、それらは、Tjさんが前々から、いつでも「私の車で」、と言っててくれたので、26日(土)の午後2時に取りに来て貰う事をお願いした。
 当日、午後、これよりそちらへ向かいますという電話が、社長の中村さんにあるのだが、この俺には「私の車で」「私の車で」と言っていたのが、中村さんには「私のジャガーで向かいますから」と、わざわざ車種を言ったのだった。
 そして時間になるとジャガーが到着した。
 到着前に、キララ社の編集部に、ジャガーで運んで貰う作品郡を並べると、当初の見積もりより、やや多めの量になった。しかもそれらの荷物は1ヶ所に纏めると、一見ゴミ置き場の様な印象を与えてしまう。(まあ、そこは「根本敬」という作家の作品郡だから、そういうものとしてご理解願うしかないのだが。しかも相手は「夜間中学」まで半年通ったキュレーターである)
 が、それをひと目見るなり、Tjさんの顔は曇った。そしてムッとしながら、幾つかの箱や作品の束を運ぶと
「もう車はパンパンです。これは1度では無理だから、あとからもう一度、男の子を連れて取りに来ますから」と言った。そしてイラつきながら、次にこう言い出した。 「本来、うちはあくまで、設営のお手伝いはしても、作家さんの搬入までは手伝うという方針はないのですからね」
 …ちょっと険悪な空気になるのだが、「すいません」「すいません」と階下に一緒に降り、話題を「自慢の(私の)ジャガー」に向ける。
 すると、Tjさんがはにかむかの仕草をして 「根本さん、見て笑わないで下さいよ」と言う。
「どうして、ジャガー見て笑うんですか?」と聞き返すと
「リリーさんが、見た時に笑ったんですもの」とにんまりしながらこたえた。
 路上にとまっていたジャガーは、笑う笑わないはともかく、Tjさんが所有する「マイカー」としては意外な出で立ちだった。このTjさんがこのジャガーを所有する事自体不思議な感じがした。それはともかく。さて、「もうパンパンです)という荷物だが、詰めればまだ結構入るかに、俺にも中村さんにも見えたが、ジャガーにゴミ(にしか見えない)みたいな荷物をこれ以上詰め込みたくなかったのだろう。
 結局残りの荷物は、Tjさんの第2便と、「これ以上ここで気分を害してもナンだからあんまり無理に頼めない」と気を遣って、ヒトガタや雉の剥製など適当に振り分けし、設営中に中村さんの車で運ぶ事にしたのだった。

11.Tjさん、京都の実家に虎の剥製があったという

翌日、27日(日)は、船橋の荷物で子安にある作品等(世田谷美術館で98年に行われた「時代の体温」展に使用した亀一郎全裸写真掛け軸など)を@btfに運ぶ。
 夜7時から8時には伺いますとTjさんに前々から伝え、「わかりました、お待ちしてます」との事だったが、勝どきへ向かう車中、Tjさんに電話しても繋がらない。「向かってますが大丈夫ですか?」とのメールをしても返信が来ない。仕方ないので、直接@btfに電話をすると「Tjはもう帰りましたが」との事。
 電話に出た若いスタッフに「今近くにいる」旨伝え待機して貰い、子安の荷物搬入は無事終えた。気がつくと。Tjさんからメールが着信していた。読むと「お電話やメールを頂きましたが、何かご用でしょうか?」とある。
「今、子安の作品無事搬入終えました。体調がお悪いご様子。どうぞご自愛下さい」といったメールを送信すると、即座にTjさんから電話が来た。
「いやあ、あら、いや、もうホントにのっぴきならない用件が、用件がなかなか、ええ、あ、いやだ、あ、あら―、すみません、もう、ちょっと今、あらホントに…」と電話の向こうで何とか取り繕おうと、大慌てをしている。
 うっかり忘れてたんなら素直に認めればいいものを。
 帰宅して、嫁にその話しをして大笑いした。
 その頃には、Tjさんは俺のいないところで、その「作家の妻」…といえ、Tjさんから見れば、たかだか小娘風情と目している、嫁に対して、折りにふれ、威圧的な態度をとる様に(今まで堪えてたんだろう)なっていたので、俺は
「今日『貸し』つくったから、明日くらいは、こっちに下手(したで)に出るんじゃないか」と言って笑った。
 ところが翌、月曜日のTjさんは全然そんな事で臆する事など全くはなかったのだが、まあ当然か、そんなタマであるはずないか。
 午後1時に市川の倉庫から、蛭子さんの長崎~天城で展示した作品をトラックで運んで来る。
 その中には、基本、B全だが、横4メートル縦2メートルの大きな作品が9点あり、他に3メートル強の蛭子さんのヒトガタもある。
 俺が小1時間遅れて行くと、作品総て置いていくはずが、4点は持ち帰って貰ったという。
 俺がTjさんと蛭子さんに尋ねると、Tjさんが「全部は置くスペースがありませんから」と言う。(そんな事はなく、最終的にスペースはむしろ足りなくなる)
 蛭子さんは蛭子さんで、「いやあ、階段から入らんで、大の男達がみんなして吊り上げて、窓から入れてるのを見てたら、何か申し訳なくって…」という。どうやら、途中からTjさんがイライラ、ピリピリし出して、一緒にその様子を眺めていた蛭子さんにプレッシャーを与えて気後れさせたようだ。
 がっかりした俺は蛭子さんにこう言った。
「そんな、設営業者はそれが仕事なんだから、ギャラリーの若いスタッフも仕事なんだし。誰かにぶつくさ言われても、全部搬入させなきゃ駄目だよ。これはみな、全員、展覧会のための仕事で集まってんだから」と。
 さて、3メートル強の蛭子さんのヒトガタである。Tjさんがピリピリしながら、「これも階段無理じゃないかしら」と言う。
 が、蛭子さんがここは「いや、斜めにしてちょっとそらせればエレベーターに入るかもしれんです」と言うと、Tjさんが「無理でしょう」というが、蛭子さんがとにかくやってみましょうとエレベーターに俺とそれぞれ両はじを持って乗り込むと、ヒトガタはどうにか4Aに運べた。
 翌日、29日(火)キララ社中村さんの車で雉の剥製が届く。「これの台をとって、宙吊りにしようと思うんです」とTjさんに話すと、「この雉どこから持って来たんですか?」というので、俺は
「実家にあったんですけど、虫がわくとか言って棄てようとしたのを、こういう事に使えると思って、貰っといたんです」と言った。
 するとTjさんはこう言った、というより呟いた。
「私の実家(京都)なんか、子供の頃からずっと虎の剥製があってね。もう虫が涌いて棄てたけど、虎の剥製なんてそんなねぇ、ヤクザじゃあるまいし…」

12.「と、言っておいて、後からそっと…。ねぇ、XX君」と若いスタッフに

いよいよ設営が始まった。俺の、根本口から入る4Bや共同スペース3Bよりも、まずは蛭子さんのスペース4Bである。先述した、蛭子漫画から引用するアイディアもあるが、何よりまずは、絵の展示である。とにかく@btf以前の蛭子展に一線を画すため、展示のバランスや配分も計算に入れて進めて行かねばならない。ここで、根本嫁とTjさんが幾度か「話し合い」をする事になる。「話し合い」というより、正確には、Tjさんとしては何かしら、小娘風情にひと言言いたくあった(Tjさんとしてはタレント蛭子でいいから、天城ミュージアムそのままの「エビス素人」にも分かり易い、通常の展示で本来良かったのだと思う)だろう、そういうひと言に対する、説明というより「オコトワリ」を嫁はせねばならなかった。例えば、蛭子口から入ると、あの大阪城入口の絵が壁にあり、まずそこに目が入る。「それよりも正面には、汗を垂らした、顔のアップの大きな絵を展示して貰えないかしら、その方がインパクトがあるでしょう」と言って来る。嫁が今更そんなの発想では、天城だの長崎のイベンターらの発想と変わらず、今回はアーチスト蛭子能収のアピールが テーマで、同時にかつての蛭子ワールドを往年のファンにも思い出させそこへアピールして再評価の糸口になれば、といった事をTjさんがなるべく機嫌を損ねぬ様に遠回しにやんわりと伝える様に努めた。すると、Tjさんはにんまりしながら「青木がロジカルにものを考えるものであそこがこうだと、そことここのバランスが悪いかなと…」と主眼が不明瞭な返答をして来るのだった。結果、展示は、漫画由来のアイディアはもとより、大小作品の配置、天井から吊した巨大蛭子、奥崎、タケオ人形、そして雉。また、万国旗まで、嫁のアイディアで結果的にTjさんが当初思い描いていた展示とは違うものとなる。オマケに床のコインなども、往年の蛭子ファンには非常にウケたりした。はたまた、設営を専門とする業者の方にも、展示がよく出来ていると絶賛されたりもした(複数名)こんな事ではTjさんが面白い訳がない(とはいえ、その設営の評判がたったら、オホメにあずかるのは専らTjさんなんだけどもね。まあ女ゴコロ、しかも閉経前の年頃としては、思いの他に思いの他だったんだろうと思う。

 ところで、設営の時こそ、「現場主義」たる俺にとり作品製作の本番であり、持ち込んだあらゆる物を並べての正に「臨機応変」の醍醐味を自ら味わい尽くす、という本来最も至福の時である。
 次々にアイディアが浮かぶ、それをものによっては、ギャラリーである@btf側、つまりTjさんに伝えたり、打診しなければならない時がある。
 そうしてる時、Tjさんが答えて
「はい、どうぞ、根本さんのおやりになりたい様におやりになって下さい」どご丁寧な言葉が反って来て、俺がその場を立ち去ろうとした時、Tjが側にいた若い男子スタッフにこう言ったのをたまたま、俺の嫁が聴いていた。
「と、言っておいて、後からそっと。…ねぇ、XX君」
 実際、その場で調子良い事を言っておいて、後から「私はともかく青木が…」となり、こじれれば、スタッフの若い者に責任転嫁するのは、Tjの定石だが、そこまで、臆面なく「裏で」「陰で」とはいえ平然と、そうあるを事そう、その様にやっていたのだ。

@btfとは、かの様なキュレーターが我モノ顔で幅をきかす事のために、容易に出来得た「場」であるが、こういう論外なキュレーターがそう振る舞えるのは、TjM子個人の強力なキャラのなせるワザでもあるが、結局は詰まるところはギャラリーの体質(致命的な)であり、それはまた青木克憲という男の持つ性質の反映でもあるのだ。

13.asaco???∞違うじゃないか、Tjさん!

設営が始まると、Tjさんの言う事がコロコロかわり、急にいなくなったり、一体何が言いたいのか不明な(でも何かしら、裏のあったり、或いはなかったり…ってなかったら尚一層不可解な)言動や振る舞いが次々に降り懸かる様になる。で、嫁とよくよく振返れば、一番最初のTjさんの不可解な物言いは、嫁が初めて、件(くだん)の「自家ブランド」の話しを携えて、@btfへ同行した昨年の10月12日にさかのぼる。
 その時、初めて不可解な(頭の中に疑問符が思いっきり、クッキリ浮かぶ)妙な場面が展開される。
「あら、根本さんの奥様デザインの新ブランドですか?あらまあ、ウフフ‥」
と言ってTjさんが1枚のDMを持って来て、根本嫁にこう言って手渡した。
「青木の奥様がなさってる、お子様向けのブランドが出来ましたの。よかったら(記載のサイトを※http://kitu-tuki.com)ご覧になって下さい」
 根本嫁がDMにあるその子供服のブランド、kitutukiの服を着て駆け回る子供3人の写真を見て
「あ、カワイイ~、青木さんの奥様がブランドやられてるんですか?」
「ええ、9月から‥」
 そういうとTjさんは「そうですよね」、と言いながら、珍しくムッツリしてそのやり取りを聴いていた青木さんに向かい更に
「奥様ですよね?そうですよね?」
 と念押しした。
 するとアオキさんは
「んん‥」と口ごもり(っというように見えたが)、その後すぐに我々の前から姿を消した。(尚、青木はこの時からオープニングバーティまで顔を見せなくなる。まあ多忙だから)で、Tjはもう1枚自分が確認?するために同じDMを手にして「jubileeの方と、tow dotの方と一緒にされてるみたいですよ」と、青木さんに対しての、何かよく解らないやり取りの後にそう嫁に言ったのだ。だが、サイトを覗くと更にわけが分からなくなった。「奥様がなさってる」はずのブランドkitutukiは、青木さんの奥様でも何でもない、別の男性と幸福な家庭を築き、(今年になり第3子を懐妊)「妊すぐ」「赤スグ」などのママさん雑誌で今、大人気だという、モデルのasacoさんのブランドなのであった。それなのにあの二人のやり取り、特にTjさんの今にして思えば、嫌味ったらしい物言いは一体何の意図があったのか、今だにとにかく謎である。と、こんな不可解な発言が振返れば多々あるのだが、とにかく設営の日からオープニングパーティまで拍車がかかり、我々(俺、嫁、他手伝ってくれたり、展示作業に関わってくれた人々)の神経を何かと逆撫でするのだった。
 一番中でも、ハラワタが煮えくり、「やめる、やめない」の騒動にまでなったのが、30日の3階Aスペースをめぐる一件だ。同スペースは@btfのオリジナルグッズやバタフライ・ストローク株式會社というか青木傘下(と青木が思う)の作家によるグッズなどを取扱うショップスペースである。そこをTjさんが、俄かに、設営作業中の俺と嫁に「あのう、3階のショップのところなんですが、どうもスカスカなんで、それでは困るので、そこもよかったら使って埋めて下さらない」と言って来た。運び込んだ素材が我ながら思いの他多く、どう纏め、どう分散、振り分けするか、自作の夥しいドローイングを眺めていて思案にくれていた矢先、有り難いと、3Aのショップ半分に、「見て貰う」よしんば「買って貰う」つまり販売用の絵を飾る事にして、4Bは完全に販売も何もない、思い切りむちゃくちゃな展示にする事に決めて、その様に設営補助の業者さん達と動きだした。そして、蛭子さんの横4メートルの大きな絵も1枚そこ3Aに飾る事にして、早速3Aの設営作業を開始した。
 ところで設営初日、カメラマンの水谷伸之さんが会場を飾る、蛭子さんと俺の「アーチスト写真」を設営の最中に来て撮ってくれた。その出来上がった写真をB全に延ばしたものを水谷さんが、丁度その時に「出来ました」と持って来てくれた。写真の仕上がりは素晴らしく、Tjさんにも見て貰うと「あら、素晴らしい!あなたカメラマンだったの?てっきりこの前来た時、何か(ニュアンスとして、エロ本系のマイナー雑誌)取材の人だろうと思ってたら、こんな素敵な腕前のカメラマンだったのね、是非名刺交換して下さらない」と来た。水谷さんのパネルは、3Aから、3B(蛭子根本シンジケートのコーナーがある)の仕切りの壁に空いた、エントランスの丁度真上に飾る事になった。
 それから根本嫁が子供の保育園お迎えのため帰り、続いてTjさんが「作業中すみませんがちょっと出掛けてきますが、すぐ戻ります」と言って出て行った。
 そして、まず蛭子さんの大作を設置し、他の作品を並べ3Aの設営をしていると…。
 スタッフの男子、H君が小走りにペコペコしながらやって来て、「すみません、今、Tjから連絡があり、3Aは使えなくなった、という事で…」という。「どういう事だ!?」と訊くと、「よく分からないのですが、会社の都合かと…」
 と、それを聴いて俺は遂にブチ切れて「やってられない!」と怒って外へ出た。
 結局まあその日その時は、「ここで投げ出しても…、下りるにしてもまだ早い」と頭を冷やして@btfへ戻った。
 すると帰って来たTjが「すみません根本さん、この子は1月に入ったばかりで、仕事にまだ慣れてなく、説明不足で大変失礼しました」とH君の後頭部に手をやりグイッと頭を下げさせ、H君への責任転嫁にしようとした。
 次にTjは「青木がやはり」と、今度は青木が悪いとばかりに弁明した。が、多分始めから、俺への嫌がらせで、そんな事をしたのだろうと今は思う。自分で「スカスカだから埋めてほしい」と言って来てその日数時間後に背後の理由はどうあれ、そんなギャラリーがキュレーターがいるのか?…いるのだ、成立つのだ、それが@btfなのである。
…しかし、この一件はそれまで、どうもやる気がイマイチというか態度の良くない(と見受けられた)、設営業者の兄ちゃん達を活気づけた。
 思えば、下の者、出入りの業者には見下した態度でキツく接する、Tjに対して「反抗」してみせた俺に心中快哉を叫んだのかもしれない。
 @btf側=Tjとの関係は険悪になったが、日頃虐げられているとおぼしき彼らとは打ち解け、4Bの設営は楽しいものになり、彼らの方から、「この空きスペースにはこれはどうです?」とか「これはエロいから、ちょんの間らしくピンクの蛍光灯の真下はどうです?」と、積極的に展示を手伝ってくれたというより参加して来たのだった。

しかし
@btf、どうにもならない不可解を生み出す、何か恐ろしい、ドロドロの内情が、縁の下でとぐろを巻いていそうな、ギャラリーを装った「魔界」である。

14.オープニング二日前。既に「このままでは終りは遠からず」との予感

前日、設営隊の志気は上がり、4B根本スペースの柱と梁には、俺の画集「TheEnd」の原画をコピーしたものを貼り込み、グジャグジャに埋め尽くした。また、ジャングルジムの宙吊り、そして壁面のドローイング他といったビジュアルのランダムな展示も無秩序にペッタンペッタン貼ったり、重ねたりの作業も、空間や白かった壁面も埋まり、どうにか体を成して来た。
 3Bの蛭子さんとの共同スペースもまた、途中前述のケチがつきながらも、それが設営業者の兄ちゃん達との関係上、うまく働き、一致協力して、次々と壁面を飾り、こちらもまたどうにか見えて来たところで、残された、オープンまでの1日である、明日31日に繋いだ。
 31日はどうあがいても、設営、最後の日。期間中に手を加え変化をつけるにしろ、一応公開出来るだけの「完成」は一旦させなければならず、いい加減、展示だけに集中させて欲しいところだ。が、この俺をなかなかその様にさせて貰えないのが、@btfというギャラリーである。またも余計な用件が待っていた。
 前日、K&Bパブリッシャーズの鬼頭さんから、@btfにて先行発売の新刊「元祖ディープ・コリア」を、あちらが3冊しかとってくれないので何とかしして欲しい、との連絡を受けた。
 俺は「さすがに何かの間違いだろう」と一旦は思った。
何しろ、12月初旬に、遅々として進まぬ、「ディープ・コリア」4度目の復刊を、「2月1日からの展覧会での先行発売を目標に、今度こそ本を仕上げよう」と持ち掛けようやく本格的に動き出したという経緯がある。
 それは12月の時点で真っ先にTjさんに伝え、「了承」を得、出来上がったカバーの刷り出しなども、Tjさんに「経過報告」として俺は見せてもいたからだ。
 しかし、鬼頭さんの話しでは、そのTjさんが「他の本も総て3冊ずつと決めてるから、『ディープ・コリア』も3冊しかとらない」と撥付けられたという。
 そんな話なのだが、とにかく、鬼頭さんに@btfへ来て貰い、Tjさんと根本立ち合いで直接話して貰う事になった。
 とはいえ、あまりにも慌ただしく、Tjさんと鬼頭さんを引き合わせ、話し合う途中で、俺は席を立った。
 結局、30冊とってくれる(とはいえ当初の予定通り)事になったのだが、「3冊」と断った理由は、結局、間に入った若いスタッフが誤解を生む様な報告をTjさんにして、そういう若いスタッフの伝達ミスがこの問題の原因…と、いう事になったらしいが、真偽はどうあれ、最早それしきを気にしてられないくらいに、ややらばならない事が多く、大わらわの状態が続く。
 カメラマンの水谷さんも助っ人に来てくれて、俺の傍らで、手となり足となり指示した通りに手伝ってくれている。
 そこへ、Tjさんがやって来て「根本さんすみません。私これから、根本さんに土下座致しますから」と、俺に向かい土下座する素振りを見せる。今となってはそのまま本当に土下座するか見届ければ良かったが、「どうしました?」とその時は一応止めて、理由を尋ねた。
 すると「蛭子さんとお二人のツーショット写真の事で‥」と言うので、
丁度居合わせたそれを撮影した水谷さんと、その写真のB全パネルを設営した、3A(根本註※前日「3AはやっぱりNGです」騒動の一件後もその写真だけは、3Bへのエントランスの真上なので、特別に「そのまま設置しておいても良い」‥となっていた)へとTjの後について向かった。
 写真の前でTjは、さっきまで「土下座します」とまで言っていたにもかかわらず、事も無げに「決定事項だから従え」とばかりに、
「青木が、こちらのスペースはショップだから、この写真も外してくれと申しますので、どこか別の場所にお願い致します」と言う。
 俺は水谷さんとチラッと目と目で「やれやれ」「やっぱり来たね」と会話し、即座に「はいはい了解致しました」と言って、水谷さんと一緒にパネルを外して、大部展示は出来上り、なかなか適当な場所が見つからないが、3B左側の壁下段にズラッと並べた、10枚の共作画の上段向かってやや左に貼り付けた。
 作業は止めどなく続く。途中、呼ばれて、エレベーターボタンの下に取り付けた「地獄」行きボタンを確認し、また、原作に倣い、1円玉5円玉10円玉を床のひび(地面が割れた様な)に「あと少しで千円分」はめ込み、それを接着剤(の様な美術用のヤツ)で固定して「愛の嵐」のあの場面の出来上りをチェックしたりした。蛭子スペースはもうこれで良し、あとは自分のスペース4Bを急がねばならないと展示・設営・設置にのめりこみ、あと少しでとりあえずの完成という段階で、自分にとって重要な「音」をかけてみる。音源は昨年12月28日スーパーデラックスでの幻の名盤解放同盟としてDJを行なった時のもの。それをMAXの爆音で掛けると、ピンクの蛍光灯に照らされた、混沌としたスペースが、一層、狂いの度合いを増した。Tjさんに念の為、音量について(以前、ラジオ新ドンパスのナマ・スタジオ爆音ノイズ音源の類は同席の上、試し聴きしている)どうか?と確認をして貰うと。「大丈夫ですよ」と、まずは言う。が、次に「でも、もしも他の階から苦情が来た場合は、もう少し音を下げて貰う場合もあるかもしれませんが、苦情が来な い限り大丈夫です」と言った。俺はそれを聴いた瞬間「Tjが『苦情来ました』と言って来るな」と思った(‥まあ、この問題そういう場面までTjとは結局行くまでもなかったのだが)が、とにかくオープンまでもう時間は限られているのだ、その時はその時、これ以上余計な事に気をやらず、作業に集中しなければならない。

15.何故社内事情を、設営追い込みの最中に‥

そんな追い込みの最中。またも、Tjがこちらの神経を思い切り逆撫でする様な事を耳打ちして来た。
「根本さん‥」
「はい?」
「お話しまだしてなかったんですが、ちょっとよろしいかしら」
 俺は作業の手を動かしながら「何か?」とTjの話しを聴いた。
「実は、本社(バタフライ・ストローク・株式會社)のデザイン・オフィスがこちらの近富倉庫の4階、それも〈根本さん口〉のエレベーターから出て、すぐ右手前の奥に入ると幾つか部屋がありますね?あそこに2月の7日から引越して来るんですよ だから、エレベーターのところの照明(その時点でまだ替えていなかったが、緑の怪しい色にと考えていた。結局そこはそのままになったが)や、あの大きな音が、引越しや、また仕事の邪魔になる場合もあるので、どうしたものかと‥。私、まったく良い対処法が浮かばないんですが、根本さんにもこちら(@btf/バタフラ・イストローク・株式會社)の話しでご迷惑おかけしますが、何か方法を考えておいて下さい」
 これを聴いて、またもハラワタが煮えくりかえった。
「2月7日に本社デザインルームが越して来るとは、しかも会期中。会期は半年前から決まっていただろう?それを今、しかも追い込み作業中に、急に聞かされたわけだが、それはこちらの関知しないというか、全くする必要のない会社側の問題だろう。それを、『だから爆音などが、引越しや仕事の妨げになる』とキュレーターが、繰り返しなるが追い込み作業中に集中している作家に向けてのたまうとは、呆れるなんてものではない。全部てめえらの社内事情ではないか。しかもそれを切羽詰まった状況下にワザワザ言って来るのだ。
 とにかく、その場は、Tjに黙したまま頷き、俺は止めどない怒りを力ずくで堪えて、作業の追い込みに専念しようと、努めた。とにかくもう時間がないのだ。

Tjは何という非常識な女だとその時は思った。が、Tjをそうさせているのは、見てくれのみ取り繕い、その裏で、作家を舐め切っている「俺がお前らに@btfという『場』を無償で提供しているのだから、従うのは当然」と実は本気で考えている、青木克憲という最悪の男の本性をやがて知る事になる。


会場にて爆音でかけたCD

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16.重い気分で展覧会の幕開けを迎える、そしてオープニングパーティを終えた後に

遂に初日が来た。
 が、その時既に俺と嫁は、@btfから、いつ撤退という事態が来ても不思議ではないとの思いを抱いている。
 とはいえ幕開けしてしまう以上、ワザワザ、勝鬨橋まで足を運んで下さる方々に、例え僅かでも、来た甲斐があったと感じて貰える展示にしておかなければならないとの思いにも強くかられ、リサイクルショップで見つけて来た、4Bへ新たに展示する品々を持てる限り携えて、朝、会場へ向かった。
 片や、自分自身の描いたり、コラージュした、見て貰う(よしんば買って貰える)作品の展示スペースをつくるのに苦慮していた。
 一昨日、3Aのショップスペースが使えるというので、4Bからそこへ移す事にした作品を、設営を終えた3Bの共同スペースに空きをつくり、展示しなければならない。そこに苦慮したが、時間がなく、とりあえず傍目には、分からない様に暫定的な展示をして、暇を見て手直ししようと決めていた。
 午前11時会場する。
 客足は始めポツポツだったが、午後3時を回る頃に徐々に増え、5時を回る頃には続々と訪れた。
 蛭子スペースの、あの床のコインは、往年の蛭子漫画を読み込んでいる、分かった人には大いに受け、例えば川崎タカオ君は絶賛と共に早速ツィッターで拡散していた(が、この時訪れたバタフライストローク側のクライアントの親父がコインを見て「金を粗末にしてる」とスタッフに言っているところを嫁が目撃。これがまた新たなトラブルを生むがそれはまた後で)。
 さて、7時からのオープニングパーティだが。そこへ至るにも、またどうしようもない話しがある。
 パーティを控えた当日になって、まだ、Tjさんが蛭子スペースである4A(カウンター有り)でやるか、ショップのある3A(カウンターあり)でやるのか、3B(カウンターなし)でやるのか、3A(カウンターあり)に飲み物と軽食を置き、3B(カウンターなし)をメインにやるのか、忙しい俺に「3Aはショップがあるから、なるべく使いたくない」等、どれともつかない事を幾度も言ってくる。
 俺はパーティ、トークなどのイベントは、3Bの共同スペースが良いと前から伝えてあり、当然そうなると思っていた。そしてその際は、ヒョウ柄のソファを壁面にくっつけて、トークならそこへ腰掛け、出し物なら空いたスペースを舞台に、と、ずっと前の打ち合わせで話していたはずだった。
 が、結局バタバタの内、パーティ会場がどのスペースになるのか判然としないまま、とにかく人が沢山(概算2百人以上3百人未満)集まり、ごった返し、誰が決めるともなく自然に3Bがパーティのメイン会場となった。
 本来、キッパリ、テキパキと、Tjさんがキュレーターなんだから、切り盛りすべきところ、そうならない。Tjさんは、仕切れないのではなく、最早、仕切らないのである。ただ、素振りだけで、場あたりに若いスタッフに威嚇する様に命令したり、怒鳴なり散らしているだけだ。スタッフの指示も統制もなってないまま、夥しい人ひとヒトの渦に巻き込まれ更に混乱する。
 DVD‐Rが直前になり会場のプレイヤーでは再生出来ずに、慌ててパソコンに取り込んだり、伏見先生のカラオケの音量が何度注意しても上がらずに、結局、東京キララ社の中村さんが側に張り付いてスタッフに指示したり…。不手際は挙げたらきりがない。
 そもそも、ソファを移動し、壁に着ける時にも@btfスタッフが誰もおらずに、お客さん数名がよってたかって、ようやくステージをつくったり、という有様だった。
 と、舞台裏の事情はともかく、蛭子根本による作家スピーチの後に、ジゴロ伏見直樹先生の歌とパフォーマンス、そして蛭子さんの手品と、来場して下さった方々には楽しんで貰えたと思う。皆さん楽しげで、9時を過ぎてもなかなか人は減らない。
 そのうち、Tjさんが苛々しだして、「根本さん、お客様がお帰りになるのにふさわしい曲を何か流して下さらない」というので、俺は色々な思いを込めて、裸のラリーズのLIVE'77から「ザ・ラスト・ワン」を爆音でかけてやった。
 そうするうち、ようやくTjの願い通り会場から人々が去って行った。エレベーターまで、俺と嫁が知人達を階下まで見送り、3Bに戻ると、Tjがヒョウ柄のソファをこすりながら、大声で何やらわめいている。
 「どうしましたか?」と近付くと
 「染みがついて取れないのよ!伏見さんが染みをつけたのよ、このソファ3百万円するのよ!伏見さんってお金持ってるの!?ねえ、3百万円弁償出来るだけの人なんですか!?
 ああ、困ったどうしよう、どうしよう…、OO君、あんた一体何やってんのよ!!(とヒステリックにスタッフを怒鳴りつける)」
 そういうTjさんがゴシゴシと目の前でこするヒョウ柄のソファにそれほどの染みがどこに着いてるのか、俺も嫁も分からない。
 が、もうこれは、今日のところは退散するしかない、と目配せし、大騒ぎしているTjから離れてエレベーターに乗り込んだ。
 何とも不愉快(と、同時に不可解)なカタチで初日を終え、明日からを考えると増々重い気分にかられながら、家路に着いた。
 翌、土曜日は当初開場の11時には会場へ行こうと思っていたが、この数日の疲れがどっと出た上に、昨夜、帰りがけのあのTjの剣幕を思い出すとどうにも腰が重い。
 午後3時を過ぎてもついウダウダし、抜けない疲労感から、今日は体を少しでも休めて、明日以降に備えるのが得策と判断して、2月2日(土)は会場に足を運ばずに休む事にした。
 ちなみに決裂する9日までだが、「臨機応変展」会催中、俺が会場に足を運ばなかったのはこの1日だけだ。
 さて、その頃、俺は今日は行かないと決めた3時過ぎ。
 その頃、@btfでは、Tjが解雇となる、その原因となった、ある出来事が起こっていた。

それは、ギャラリーにあってはならない前代未聞の出来事だが、@btfなら起こるべくして起こったと今は思う。



写真提供・川崎タカオ



問題の3百万円のソファ

17.俺が降りるかTjが降りるか

2月2日の土曜日午後。
 「もおぉ、3百万円のソファの染みどうしましょう」と、Tjが「業者」を呼び出し、 来場したお客さん達の目の前で大騒ぎをしたという。
@btf側がウカツというかヨミが甘いという事のひとつに、この展覧会に足を運ぶ、来場者(或いはツィッターなどで話題にする人達)‐つまりこちら側のファンをあなどっているところがある。
 あろう事か@btf側の者が、「この展覧会に来るな」とか「不成功裡に終わらせてやろう」という「電波」を全身の毛穴から発信していたんだから、「何だかなあ‥」という微妙な空気感が、全体を覆う。
 そこへ寒い中、勝鬨橋くんだりまで足を運んでくれる人は、相当なファンであり、そういったファン同士のネットワークがあると考えてしかるべきだろう。
 その日来場者の目の前にもかかわらず、3百万円のソファをめぐり、キュレーターのオバサン大騒ぎ、の一件は、俺の耳にもその日の内に入って来た。
 が、しかし、後日、小耳に挟んだものは予想以上のヒドい話しではあったのだが。
 とにかく、そういうTjの振る舞いも念頭に、スッキリしない気分で3日・土曜日の昼過ぎに嫁とリサイクルショップ(どうあれ期間中は常に展示物を増やす)経由で勝どきへ向かった。
 その途中で、この展覧会を何かとサポートしてくれている、S君から携帯に電話が入る。
「4Bの根本さんのスペースですが、音がなっていません」
 内心「やっぱり」と思いつつ、急ぐ。@btfへ着くと幸い?Tj始めスタッフと顔を合わせる事なく、4階Bの無音を確認出来た。
 S君以外にお客さんはひとりだが、S君が来てからの1時間、5~6人の来場者がいて、ずっと無音だったというのを確認。また、昨日見に来たという友人に、昨日、爆音は聞こえたかと尋ねると、案の定、音はかかってなかったという。
 俺は怒りにかられて、Tjを呼び出し、どういう事かと質すと、「すみません、お客様がひとりもいなかったので、音を一時的に下げさせて貰ってました」と微笑すら湛えてしゃあしゃあと言う。
 いや、いた、それも複数、というと、「あらまあ、それでは、スタッフがうっかりしていたんでしょう」と来た。そんな事ないだろうと詰め寄ったら、「いいえスタッフのミスですよ」と、一旦Tjはスタッフを呼びに行く。
 と、エレベーターが開き入って来たお客さんは、蛭子さんの奥さんと娘さんご妻だった。「根本さん」と呼ばれ、「あ、どうも」と会釈したら、そこへまたTjが現れ、まだ「やはりスタッフのミスで」と例の如くの常套手段で下の者の責任にしようとする。そして息巻く俺に、にんまりしながら「あらあら、根本さん落ち着いて下さい」といった事を言う。
 俺は
「お前の面なんか、2度と見たくないんだ!」と怒鳴った。
 するとTjは
「はい、分かりました。では、私(わたくし)がビーティーエフを辞めますから」と涼しげに言った。

 何が起こったのかと、目を丸くして、その場面を蛭子さんの奥さんと娘さんご夫妻が見ていた。
 つまり、Tjはそこにいた来場者が蛭子さんの家族であるとは知らずに、俺とやり合っていたのだ。
 それはさておき。結局、こちらが降りるか、Tjが降りるのか、という話しになる。 蛭子さんの奥さんに、こうなった事情や、ソファの話しをすると、奥さんは呆れて、「何かあったら私が弁護士を連れて来ますから」と言って下さった。
 さて、Tjであるが、事情を聞いて、駆け付けた、東京キララ社の中村さんと、「俺がいるとますますこじれる」だろうと、根本嫁の二人で、Tjと話し合う事になった。

18.「お客さん誰もいらっしゃらなくて〈暇〉なんで」

席に着くなり、Tjはこう言い出した。「お話しですが、規約では、(音は)あくまでBGMとして、と、この紙に書いてあります。ですが、私は『作家さんのため』と思い、今回、大きな音量にOKを出しました。でも、それが‥。あのね、奥様、誤解なさらないで下さいね。私は根本さんの作品を理解しております。今日はそれが裏目に出てしまって。
 ビーティーエフとしましては…。そもそも(この展覧会は)うちが、お金を出してやっているものですから、権限はこちらにあります。でも、作家さんの事を思ってと、こちらがやってさしあげたことが、裏目に出てしまいましたね」

 この時、Tjは謝罪するという立場を取りながら、「私が気を利かせすぎてしまったことが逆にご迷惑をおかけしてしまってすいません」という言い方だったに始め終始したという。

中村「とりあえず今日の件をまず。音量は元に戻して貰えるんですよね。それから照明も。あと、僕が聞いているのは、直接ではないですが、3百万のソファを弁償しろとかっていう話。それは幾ら何でも、ゲストの伏見先生に失礼じゃないですか。実際、何か着いていたんですか?」
Tj「お客様の何かは分からないんですが、飲み物をこぼした時に。伏見さんがライヴの時に何をされてたのか存じませんが」
根本嫁「それは、パーティの後に、そう言われた時に確認したら、特に何も着いていませんでしたよ。伏見先生がライヴの時に、(水が欲しいのにスタッフが誰もいないから私が)お水を、持って行った状態で、他のものをこぼすなんてありえません」
Tj「いいえ、着いてましたよ」
嫁「お客さんも見ている前で、会場にいた人を証人にしていいくらいで、そういう染 みが出来るような事はしてませんでした」
Tj「赤いオレンジ色の塗料がベッタリ着いてましたよ」
嫁「え、でもメイクもしてなくて、塗料が着くかしら」
Tj「伏見先生の呼ばれたお客様(根本註※銀座のママで、元宝塚。CDも出している)の化粧品か何かが着いていたのを私が見ました」
嫁「でも、根本が『伏見先生にお水持って来てくれ』と言った時、スタッフが誰もいなくて、私が水を貰いに走ったら、Tjさん、後ろ(3Bの仕切りの向こうの3A)にいて、ペチャクチャ話しをしていて、ライヴなんか見てなかったのに何故分かるんですか?」
Tj「女性スタッフが(3Bの)中にいて、見ていました」
中村「そもそも、そんなに高価なソファで汚されたくないなら、なんで不特定多数の人が集まるレセプションで飲み物を出すんですか? それで後から汚したとか‥。 だいたい、パーティの場でも、スタッフが何もやらないから、お客さんが椅子やソファを運んだりしていました。ハッキリ言って、オープニング・パーティに来ていた方々から、苦情を貰っています」
 と、中村さんが言うと、Tjは乗り出して「何ですか、それは?苦情というなら、ひとつずつ明確にしなくてはいけませんね」と筆記用具を取り出し、こう言った。 「教えて頂けますか?今後のために」
中村「そんな事言いに来たんじゃない。この場では、そういう事について僕は言いたくありません」
Tj「いえいえ、そんな事おっしゃらないで下さい。私どもの何が悪かったのか、こういったことはひとつひとつ明確にして行って‥。うちのギャラリーの今後のためにもなりませんから、お聞かせ下さい」
中村「‥じゃあ、伏見先生の(カラオケの)音量があまりにも低く過ぎて、何度も僕が音を上げるように言いましたよね?それなのに上げた音量を何度も後から下げて。あんな音量では歌いづらいし、失礼ですよ」
 この後、中村さんがもうふたつ例をあげる。すると‥
Tj「これでみっつですね。はい、あとは何ですか?はい、みっつだけですか?」
中村「他にも色々ありますが、僕は今ここでこれ以上、そんな事を話したくないんですが」
Tj「いえいえ、おっしゃっていただけないと困ります。みっつだけですか?はい次は? はい何がありますか?」
中村「僕には、言わない権利もあるので」
Tj「そんなに色々クレームがあったのなら、尚更おっしゃって貰いませんと」
中村「これ以上、もう言いたくないです」
Tj「その、みっつだけですの?それじゃあ、只のクレーマーですわね~」
中村「じゃあ、ひとつだけ言わせてもらいますけど、Tjさん、あなた無礼ですよ。作家に対しても、ゲストに対しても。それが一番の問題ですよ」
 するとTjは堂々と居直り「じゃあ、訴えたらいいじゃないですか!はい、どうぞ。はい、すぐに訴えて下さい」
 そんなわけで、頑として取り付く島を与えないTjに埒があかないと、中村さんが根本嫁に
「Tjさんとは、話にならないので無駄ですね。帰りますか」と言い、嫁が「そうですね、帰りますか」と頷き、Tjに「お疲れ様です」と言って、席を立つと、エレベーターのところまで、澄したTjが、ワザワザ見送りに来た。
 嫌だなと思った嫁が
「お忙しいと思うので、送って下さらなくて結構ですから、どうぞ、お仕事に戻って下さい」と言うと、Tjは
「いえいえ大丈夫です」とまず言い次にこう口にした
「お客さん誰もいらっしゃらなくて〈暇〉なんで」
 その言葉に対して中村さんが
「何ですか、それは嫌味ですか」と言うと
 Tjはバカ丁寧に「滅相も御座いません」と一礼して見せた。

 この後、バタフライ・ストローク株式會社は、展覧会会期中でのキュレーター解雇を巡る騒動となる。
 その渦中、俺は迂闊にも、友人に指摘され、@btfのホームページに、トークイベントのゲストがリリーさん以外アップされてないという事。
 @btfのブログが1月18日に割り込んだ、「仲条正義展」の後、更新されていないという事。
 ツィッターも去年の12月からそのままになっていたと知る。

 Tjとは旧知であり、そもそもこの展覧会のきっかけをつくったリリー・フランキーさん以外のトークイベントのゲスト(2月16日、山野一、山ノ井靖。23日、佐川一政、五所純子)を自社ホームページに載せずにいて、平然とTjは俺に
「リリーさんは沢山予約が殺到したのに、16日と23日の予約がなかなか入りません、何とかなさって下さい」と文句を言っていたのだ。

@btfは明らかに異常だ。

19.帰宅後、21時53分、Tjから懲りないメールが

作家が「降りる降りない」というかなり深刻と捉えて然るべき、というレベルの騒動になっているというのに、@btf側=Tjから、こんなのが着信。
件名は【お詫びと今後について】代表青木と話しました。
―とあり、以下

先ほどは、大変失礼致しました。申し訳ございません。
私に対するご不満あるかと思いますが
この案件引き続き、お話伺います。

そしてご要望の件、弊社代表:青木と話しました。
弊社回答としましては、

●「照明/音量はそのまま」というご要望一旦承ります。
-但し、弊社の事務所の引越は実施致します。
 つきましては、多少スタッフの出入りや、それに伴う作業上での灯りなどはご了承下さい。
-また水曜以降、このビルの内外から苦情が来た場合は、それに伴い変更かける対応をします。こちらもご了承下さい。

●伏見先生の(音量など)不手際については、リハーサルがなかったことが起因と考えます。
 今後もご心配であれば、<リハーサル実施>のお時間を下さい。

以上です。
引き続きよろしくお願い致します。

@btf:Tj

―「何が問題で揉めているのか」まともに受け止めていない、@btf側に深い憤りを覚えた。が、先方バタフライ・ストローク・株式會社=社長・青木克憲が慌てだしたのは、翌月曜日、本社宛に届いた、お客さんからの苦情のメールを見てからだ。

20.慌てたファンの方からの抗議メール

それは、2月2日の土曜日に来場し、たまたま、あの3百万円ソファ大騒ぎの現場を通りかかった、Mさんというファンの方のひとりからの抗議のメールだった。
 それは以下‥ 

来場者の目撃談
ファンとしての怒り
客としての不快感

 ギャラリーの女性スタッフ(現場リーダー風)の、あまりの非常識な暴言。信じられない光景でした。

 自分は根本さんのファンの者です。
 2月2日午後4時過ぎ、根本さんと蛭子さんの展覧会を見るため、会場のギャラリー、btfに行きました。
 会場である三階に行くと、度肝を抜かれました。
 現場のリーダー格の女性スタッフ(名前は伏せます)が、知人の男性たちに向かって、一般客である私や他のお客さんがいる前で、根本さんの悪口を大声で堂々と罵っていたのです。

 その女性はその知人の男性に説明をしながら曰く。
 前日行われたオープニングパーティーで歌を披露した歌手のメイク(化粧)が落ちて、300万円のソファーが汚れた。
 その話をしながらその女性は興奮して、「これはビンテージものなんだ。根本敬(呼び捨て)に、300万円、弁償させるぞ!」と大声で怒鳴り始めたのです。
 続けて、「300万円の請求書を送りつけても、払える相手ならばいいけれども、根本じゃ払えないだろう。どうするんだ」と。
 そんな感じで、一般客の目をまったく気にせず、根本さんへの悪口暴言の嵐。
 更に、その女性スタッフは時折、隣にいた若い別の女性スタッフに「あの時の私、関西のヤクザみたいだったでしょう」と嬉々と自慢する始末。

 本当に怒り、腹が立ちます。

 どこの世界に、自社で開催中の展覧会の作家の悪口を、展覧会の会場内で、開催時間の真っ最中に、しかも一般客がいる前で、口汚く罵るスタッフ(しかも現場リーダー?)がいるのでしょうか。

 一般常識では考えられません。この女性がもし、本当に現場の責任者ならば、その会社も社会的に信用できなくなりかねません。

 他の作家やアーティストも、こんなギャラリーでは、とても怖くて仕事ができないのではないでしょうか。

 だって、この女性スタッフは、根本さんに対してですら、こんな感じなのだから、他の作家さんについても、一般客のいる前でも、平気で悪口を罵っている、と考える方が自然だからです。

 そして、その一連の話を聞いていた知人の男性が、その汚れを見て、「うーん、あーっ、この汚れは取れますよ」と言われました。
 近くにいた私は、「きっと、特殊な溶剤とか、プロフェッショナルな作業で、美術的・工芸的に修復するのだろうな」と横目で見たところ、何と、「消しゴム」でこすったら、簡単に消えたのです。
 するとその女性スタッフは「よかった~。さすが、○○さん(名前は伏せます)」と大喜び。隣にいた若い女性スタッフに、「普段から○○さんと仲良くしていれば、今回のようにいろいろやってもらえるのよ。わかった?」と自慢して、その知人男性は苦笑する始末。
 つい数秒前まで、「根本敬に300万円、弁償させる」云々と罵っていたのは、一体何だったのでしょうか。呆れて、ものがいえません。

 さらにその知人男性が「ここも、割れていますよ」とソファーの損傷を指摘すると、その女性スタッフは「あっ、それはいいんですよ。以前の搬入が何かの時ので・・」とトーンダウン。これも不自然な対応です。
 消しゴムで消える汚れで、「根本敬(呼び捨て)に、300万円、弁償させる」と大騒ぎするくらいならば、その損傷の責任の所在もとことん追及し、もし該当者がいないならば、その女性スタッフの管理責任が問われるべきであり、300万円弁償するのが筋でしょう。

 私は昨日(2月2日)、その場にいて、一連の言動を聞いて、あまりの不愉快さに、よっぽど怒鳴りつけてやろうと思いました。
 「根本さんが今まで築き上げてきた実績、面子、ステータス、社会的信用その他を、メチャクチャにしやがって!」
 「何よりも、根本さんがどれだけの思いで、この展覧会に命をかけているか、あんなたちは、誰一人、理解していない。むしろ、足を引っ張っている!」
 命がけで展覧会を成功させようとしている根本さんに対して、一般客のいる前で、本来は味方である女性スタッフ(現場リーダー)が暴言を吐いて、展覧会の成功の足を思いっきり引っ張っている。
 くやしくて、くやしくて。

 これはどう考えたって、根本さんや蛭子さんの展覧会への妨害じゃありませんか。
 お願いです。根本さんや蛭子さんの展覧会への妨害はやめてください。
 もう一度、頭を下げて、お願いします。
 あなた方、現場スタッフが妨害するのは、今すぐやめてください。
 会社の社長様やトップの方も、自社の社会的責任や会社のイメージや会社の信用やブランドイメージの危機に通じる問題と是非、本気で取り組んでください。
 命がげで展覧会を成功させようとしている根本さんたちの顔に、糞を塗りつけるのは、今すぐやめてください。
 以上、市井の根本ファンからの、心からのお願いです。
 本文中、失礼な表現がありました。しかし、これは、私がその現場に立会い、私のいる前で、この女性スタッフが行った言動であり、ほぼ事実です。
 根本さんの身を削る努力に、ギャラリーの皆さん一同で心から応えて頂きたい。
 そんな思いなら、敢えてメールをした次第です。
 本当によろしくお願いします。

根本さんの一ファン

―ちなみに、俺はこの時点で、この〈一ファン〉なる方の抗議文の事は知らない。
 ただ、何か、内部でTjをめぐり、変化があるのは感じた。

21.「迅速かつ誠実な対応にその時は感じた」Mさんがいう青木克憲の殊勝なる?返信

  来場したお客さんからの「自社の社会的責任や会社のイメージや会社の信用やブランドイメージの危機に通じる問題と是非本気で考えて下さい」
と言われた、《クレームにすこぶる弱いバタフライ・ストローク株式會社・青木克憲※本当にこいつクレームに弱いんだ、クレームに》が、その時「これは会社がまずい」と、その場を凌ごう、取り繕うと、Mさんに返信したメールが以下である。 

@btfを運営しております
バタフライ・ストローク・株式會社の青木克憲と申します。

この度は、ギャラリースタッフの大変失礼な対応に関し 不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。

ご指摘の通り、そのような態度・対応は 展覧会を開催するギャラリーのスタッフとして許されることではありません。

今回の件、深刻に受け止め、調査・対応を致しまして、
今後二度とこのようなことが起きないよう肝に銘じ スタッフ教育を徹底してまいります。

この度は、重ね重ね申し訳ありませんでした。

@btf 青木克憲

―Mさんはご自分の抗議メールに迅速かつ誠実な(‥と、その時は感じた)返信に、キュレーターのオバサンは酷い人間だが、社長は誠実な方=btfはあのオバサンだけが問題で良心的ないい会社だと、その時に思ってしまったという。
 そのMさんによれば、あまりの怒りから、バタフライ・ストローク本社へ(ギャラリーだとオバサンに消去されてしまうと考えて)抗議メールを送信した際、もしバタフライ・ストローク株式會社側がこのメールを無視したら、《資生堂、パルコ、サントリー他、そうそうたるbtfへの大切なクライアント様を標的に爆撃メールを調査出来得るかぎり、根こそぎ送信しよう》と考えていたという。
 その《btfの全クライアントへ根こそぎ爆撃メール》云々の話しはまたの機会に、として。「命がけで展覧会を成功させようとしている根本さんたちの顔に、糞を塗りつけるのは今すぐやめてください」という訴えに対し、「その様な態度、対応は展覧会を開催するギャラリースタッフとして許されることでは当然ありません」と殊勝に語りながら、9日の根本敬と@btf=青木克憲決裂~根本敬@btfより会期中に撤収の報に接し、更に都築響一さんのメルマガやツィッターなどで事の次第を知るにつけ、「btfの青木という男に裏切られた、失望した」と大きな怒りやら憤りにかられたという。そして、どうしたら良いかと、とりあえずご自身に出来る事をと、当ホームページ宛に「根本さんたちのお役に立てるなら」と、考えご自身のやるせない気持ちと共に、「抗議メール」、「青木克憲からの返信」を転送して下さったのである。
 俺がビーティーエフ側のヨミの甘さ、来場者=こちらのファンの方達をあなどっている、という事のひとつは、こういったことなのである。(しかし、この「顛末記」をMさんが最後まで読んだなら、より激しい怒りをバタフライ・ストローク株式會社・青木克憲に覚えるより他ないだろう)
―とはいえ、とにかくMさんの抗議メールで、バタフライ・ストローク株式會社はようやく、対面的な、Tjの処遇を考えて動き出すには、‥出した。

 が、それは@btf青木克憲の、ギャラリー運営をする者にあるまじき、Tjを更に上回る、最悪な人物たるその正体が露になる、その布石にしかならなかったのだ。

それにしても、もう一度、Mさんの送った抗議文を読み返して欲しい。そして考えくれたまえ、こういうメールを来場者から頂戴する(しかも結局それをも裏切る)@btfというギャラリーとは、如何なるものかと‥

22.担当交代しかし‥

抗議文が届いていた、4日(月曜日)の午後、TjからSさんへ担当が代わるとの連絡やら「挨拶」を受ける。で、今後の新たな方針を記したメールを見て、おやっと思った。「結局、何故やめないやめさせないのか?居座る、居座らせるんじゃねえか」と正直思いはした。以下@btf新担当キュレーター、Sさんからのメールより抜粋。

 この度は大変失礼をいたしました。先ほどのお電話のあとに、青木と話を持ちました。
 青木もあらためてお詫びさせていただきます、と申しておりました。
 @btfとしての今後の対応としては、以下のようにさせていただきます。

・担当からTjを外します。
・今後は、(私)SとギャラリースタッフのHが担当となります。

 大きくはSが窓口になりますが、私は現場に常駐しておりませんので現場での対応はHが担当させていただきます。

 ただTjに関しては、他の業務との兼ね合いや、今週から本社機能も勝どきに移行することもあり、あの建物に終日出入りさせない、という訳にもいかない事情があるため、以下のようなルールで考えております。

・展覧会に関する窓口はS・Hが担当いたします。
・根本さんに出演いただく3回のトークショーに関して、Tjは会場に来ないようにします。
・また事前に根本さんが来場されるのをお知らせいただければ、席を外させます。

 上記の徹底のお約束をもって、展示の継続をあらためてお願いさせていただければと思います。

 今日、明日はギャラリー定休日につき、Tjには青木から6日(水)午前中に話をする予定です。
 以上が青木からのご回答になります。

―俺が期間中、Tjと合わないように徹底する‥「その徹底のお約束」とは?
 どうも論点が違うと感じる。
 が、どうあれ、「クレーム」から@btfは動き出した。
 いつ頃、どのタイミングで、代表青木がMさんからの抗議メールを読んだのか、定かではないが、日付がかわってさして間もない、2月5日午前0時32分にTjから次のメールが着信した。

根本さま、奥さま

 この度はご迷惑かけ誠に申し訳ございませんでした。
 謹んでお詫び申し上げます。

 ご要望受けとめ@btfから離れます。
 ありがとうございました。

Tj拝。

 「ご要望受けとめ@btfから離れます」
とは何だろうと思ったら、明けて5日の午前中、Sさん発中村さん経由で「Tj解雇」の報を受ける。
 午後、Sさんから「青木が今回の事でご迷惑をおかけした、根本さんご夫妻、東京キララ社中村さんにお詫びをしたいと。つきましては、いつ、どこでも、伺いたいと申しております」
 との連絡が来た。
 こちらは、青木さんが相当気にやんでいるものと思い
「いえいえ、お忙しいのに。明日、ビーティーエフに伺うので、会場でお会いしましょう」
 と、返事をし、翌6日(水曜日)の午後、ギャラリーで会う事になった。

23.青木のヒトを見下げた態度・対応に呆気にとられるが‥

2月6日(水曜日)の午後4時、青木、新担当のSさん、東京キララ社中村さん、根本嫁、自分が3Aのテーブルを囲む。
 その少し前。エレベーターが開き、入って来た青木(因みにセーターには大きくAとあった。AはAokiのAか?)と根本嫁が目を合わせた時、青木は「ごめんねぇ」と軽い調子で、嫁に声をかけてきた。
 が、その様な態度・対応はあくまで、席に着く前ならの、女子相手ならの軽い挨拶に過ぎず、これから正式な謝罪が始まるのだ。そう嫁は思ったというし、俺もまたそういうものだろうと、その席に臨んだのだ。何しろ、着席するなりもう、そこは「公」(おおやけ)の場である。だから、@btfのオーナーである、青木克憲(バタフライ・ストローク・株式會社代表取締役)が、席に着くなり襟を正し、例の如くニヤニヤしていたのが、神妙な面持ちにガラッとかわり、まずは、「重ね重ね申し訳ありませんでした」と額をテーブルにあて両手をついて謝罪し、今回の一件をざっと振返り、問題点を挙げて行き、それらについて調査・原因究明の結果を報告し、「今後このようなことがないように、注意して、ギャラリーの運営をして行く所存です」とことわり、次に「根本さんにはこの度大変失礼かつ不愉快な思いをさせてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。つきましては、根本さんさえ宜しければ、当ギャラリーは、心機一転、展覧会の方を今後も是非継続して頂きたく、考えております、何卒宜しくお願い致します」
 …くらいの事をてっきり言うもんだと思っていた。
 が、席についても、青木克憲はニヤニヤしたままで、開口一番
「すいませんでしたねぇ~」と、えらく軽い調子で、ひとこと言ったのみ。正直、呆気にとられた。

 次に
「Tjは解雇しました。本社の方にもお客さんからメールでクレームを貰いましてね」と言った後、「さて」という感じで次の様に言って来た。
「それで今後の事ですが。音の方、3階は、写真館が入っているので、そこからクレームが来るかもしれないけど、来たら、その時はボリュームを下げて貰うことになる‥」と、こちらが「まぁ、3階(根本註※台湾舞踏歌謡映像)の音量はそれ自体が重要という事もないので、(今の音量より)もう少し下げても構いません」と、言ってそこは譲歩する。

 青木克憲(@btfオーナー)が、「フン」と軽くうなづき、次に問題の4Bの音量について、こう言った。
「4階(の音)に関しては、うち(@btf/バタフライ・ストローク株式會社)しか入ってないので、問題はありません。
 でも、7日から引越しの作業が始まるのは本当なので、バタバタはすると思います。その辺はご了承下さい」「ええ、分かりました(音量の件、青木サン、認めて下さったのだ!)」
「それから、もうひとつ。4Aの蛭子さんのところのお金ですが。
お客様から
『お金を粗末にしている』とか、
『踏んでしまって嫌な気持ちになった』というクレームが入ってましてね。という事で、オモチャのお金にするとか、その辺を検討して頂きたい。‥そもそも、トークショーの時に、床にお金があると椅子は並べ難いから、ないならない方がいいかとは思うけど」
 それに対して、あの床のコインのアイディアを出した、根本嫁が
「その件に関してはTjさんと、最初の段階で、本物かオモチャか話していて『本物でも問題ない』とTjさんがおっしゃっていて、‥それから、トークショーの時は、4階のAスペースではなく、3階のBスペースを使うと決めてありますが‥」
 すると青木は何やら不服そうに
「じゃあ、3Bでいいんですね?」
と、「いいんですね?」とこちらに念押しするカタチでそう返答し「了承」したかに思えた。そしてとにかく「お金はオモチャで。検討して下さい」との事。やむを得ず「承諾(あくまでオモチャにする事を検討することに)」。
次に青木が「で、あと他には何か?」というので、DM等で、〈休館日:毎週月火曜日・祝日〉の記載が分かりずらい、気づきずらい旨話し、俺は以下のお願いをした
「今度の土、日、月(2/9~11)と3連休ですね。で、連休3日目の月曜日は祝日ですが、ビーティーエフも月曜日だから、祝日でもキマリだから休館だと、つい先日知りました。
しかし、11日が休館だと、かなりの人が気づいていなくて、それどころか、11日に来ると言っている人が結構いまして‥」
 すると青木は
「11日に来るというのはどういう人ですか?」
「友人達です。DMを送った。何人も、『11日に行く』というメールを貰いました。
 それでお願いしたいのは、11日は3連休の3日目じゃないですか、こういう日は、結構人が来ると思うので、特別に開いて頂けませんか」
 すると青木は上から目線で
「今迄、うち(@btf)は週2、月、火休みというリズムでずっと来たから、祝日だからといって、それは崩したくはない。
 前もって言われたんならともかく。
 ご友人の方に‐誰か分かってるんでしょ?『11日は休みです』と知らせれば済む事でしょ?そうお伝え下さい」
と、きた。
「祝日が休みだとは、DMでも何でも分かりずらいですよ」 そう言うと青木は、隣りに座る、新担当のSさんへ告げる。「『祝日休み』とホームページのトップにもって行く様に」
 で、また「他に?」と来る。
「このDMですが、ビーティーエフの電話番号が載ってないんですが‥」 「今時、電話番号なんて重要じゃあない。そう考えてます。ネットで総て済みますから。 他には?」

「あと、ホームページですが、トークショーのゲスト、リリーさん以外未だに更新されてません。それからビーティーエフのブログもツィッターもこの展覧会の事は一切告知されてません」
 と言っても青木(@btfオーナー)は全く悪びれずに、隣りに座るSさんに結局「じゃあ更新しといて」のひと言のみ。
 が、ひとつだけ青木が「ゲストの方々の肩書きですが、中村さんから昨日その件でこちらに送って貰ったものを見ましたが‥」と振って来た件がある。
中村さんが「根本さんのホームページにアップされていたものを、取り急ぎそちらへ送ったものですね。あれはこういう感じで、という例として送ったものです」
青木「(それはいいから‐と言った体で)肩書きは、うちではいらない。 『リリー・フランキー』とあるだけで、肩書きはいらないでしょう」

 因みに、中村さんが@btfへ転送した、当ホームページの告知には、例えば「佐川一政(作家・パリ人肉食事件)」とあるが、資生堂、パルコ、サントリー他そうそうたるクライアントを抱える、バタフライ・ストローク代表・青木克憲が気にしたのは、佐川一政さんのこの「パリ人肉食事件」という記述=肩書きであるかと思われる。
「とにかく、うちの告知には肩書きはいらないので、なしで行きます」
 そしてSさんに
「そうしといてね」
 と告げ
「あと他には?」
「………」
「他にないのなら。じゃあ、これで」

 と、「じゃあこれで」と結局、青木は一切悪びれる事なく、現在、日本を代表するアート・ディレクターとして、資生堂、パルコ、サントリー他をクライアントに最も稼ぐという超多忙な身である、スケジュールは詰まっているのだろう、そそくさとその場をあとにした。

 こちらはというと、ミーティング後、とくに帰ってからどっと疲れが出た。正直、「青木サン」には非常に残念だった。がっかりした。
 とはいえ、実は。こんな対応を受けながら、こちらはかなりの譲歩を幾つも重ねている。この時点でまだ青木克憲を信じている、と、いうか、信じようとしていた。無理矢理でも信じようと努めた。何しろ、「4階の音に関してはうちだけだから問題はない」と言って下さったのだから、他の返答がたとえ、内心がっかりするものであっても。「悪いのはTjだけで、青木サン/@btf自体は悪くはない」と自分に言い聞かせようとした。何故なら自分がとにもかくにも、今、最も優先すべきは、〈この展覧会を継続する事〉だからだ。そう考えて、尚、釈然とさせないのは何か?一向に腑に落ちないのは何故か??そこにあえて目を瞑り、「問題は一掃された」と自分に言い聞かせ、ホームページにもそうアップした。その時既にかなりの無理があったと思う。が、俺はとにかく、繰り返すが、展覧会を最後までやらなくてはならないのであった。例えギャラリー側と軋轢が生じ、嫌がらせを受け様が、不条理な展開になろうが、展覧会を続けなければならないのであった。だから、9日、青木と決裂するその直前まで、俺は白壁を埋め尽くそうと作業を続けていたのだ。
 とはいえ、ホームページに、(或いはツィッターなりに)、腑に落ちないその心中を多少吐露してはと「西武ライオンズのユニフォームを着た江夏みたいな‥」とのひと言を加えるか思案したが、結局それは省いた。

 しかし、それにしても、DMのギャラリー電話番号抜けは、明らかに@btf側のミスである。が、それすらも上から目線で「今時電話番号は重要ではないと考えている」で押し切って来るのが青木克憲という男であり、それはそのまま@btfというギャラリーの致命的な体質そのものなのだ。平穏時はともかく、何か不都合が生じれば、必ずそういう出方をしてくるだろう。こんな事は「すみません、こちらのミスでした」とひと言認めればいいだけじゃないか。

 
因みにこの「蛭子・根本展」以前も、そして次の現在開催中(3/31迄)「宇宙兄弟展」のDMにも、あろう事か「今時重要ではない」電話番号などというものが記載されており、驚いた!のであった。

青木のあのニコニコしていながら実はヒドい事を、というあの雰囲気や表情が誰かに似てると思ってたら、解った!「燃えよドラゴン」のハンだ。

24.胸に大きくAの刺繍入りのセーターを着てるAoki

2月7日(木)。気持ちを取り直し、新たな展示物を山の様に抱えて、嫁と@btfへ行く。
午後1時、お客さんは、ひとりしかいない。
 しかし昨日の約束通り、4Bの根本スペースでは大きな音が鳴っている。作業中、設営業者のKさんが、「根本さん、かわりに床に埋める、オモチャのコインこれでいいですか?」と訊いて来た。一瞬、「え!まだ検討中で、オモチャで良いと、まだ了承したわけじゃない」と思ったが、とりあえず見てみると、10円から百円、中には原作にはない5百円玉まであり、しかし総て同じサイズ、同じデザインで、おまけにどれも端に穴が空いているというものだった。「こりゃ話しにならない」と、オモチャならオモチャでもう少しマシなものにして欲しい旨お願いする。

 さて、翌日。8日(金)この日も嫁と沢山の荷物(リサイクルショップで見つけた、お婆さんの遺品らしき着物9着とか※香水をかけて4Bの天井から吊す)を抱えて、@btfへ。
1時過ぎ、お客さんはひとりもいない。
 Sさんが、青木の指示で、蛭子さんのところの例の床をこうしましたので、というから見に行くと、昨日「もう少し考えて下さい」と言ったにもかかわらず、あのコインが、ひびの入った床にはめ込まれ、既に固定されていた。
 またしても、勝手なことをと思い不愉快になった。が、ここでもまだ堪えた。
 爆音の中、作業していると、Sさんが来て言い難そうにこう言った
「すみませんが、今の音ではなく、青木の設定した音にして欲しい、と。それで、これからその音量を確認して頂き、それで良いものか、回答を、と、青木が‥」
 というわけで、青木の線を引いたところに音量を合わせてみたところ…。全くもって話しにならない。
 これでは、ザワザワとただ雑音が聞こえるだけで、こちらの意図は全く汲んでいない。
「全然話しになりません。一昨日、青木さんも『4階の音は問題ない』と言ってたんですから、あの音量で行って下さい」と俺が心中腹立たしく思いながら、Sさんにそう言うと、
「分かりました。青木にそう伝えておきます」
 と、Sさんは困った顔で言った。

 翌日。
 その日は、リリーさんをゲストに招いてのトークイベントである。蛭子さんはテレビの撮影が入ったので、5時くらいに着く予定だという。
 午後2時過ぎ、俺と嫁、そして子供達と@btf到着。芳名帳を見ると〈都築響一〉という名前が目に入った。会場に見掛けた知人へ「都築さん来たの?」と尋ねたら「入れ違いくらいですよ」との事だった。
 その日も、新たな展示物で空間を埋めていた。
 既に、今回の設営、4Bの自分のスペース、かなり完成に近付いていると感ずる。 隣りの4A‐蛭子スペースを覗くと、床のコインは総て取り外され、訊くと、青木の指示により、オモチャのコインすらもう床には設置しないという。 「もういい加減にしろビーティーエフ」っと腹を立て、3A‐ショップスペースのソファ(あの3百万円にあらず)に腰掛け飲料水を飲んでいた。そこへ青木がニヤニヤしながら現れた(※その時はAのセーターは着ていなかった)。  そして、「クレームが来た(※パーティの時に来たクライアントの嫌な野郎らしい。嫁がそれを見ており、俺も思い当たるが胸糞悪いイヤらしい野郎だった)のに、それをオモチャにしたからといって‥」「そもそも本物のコインは、法律に触れるというし‥」また、「オモチャで試してたら、床のひび割れが広がって来た」等々。よってコインの件はあの様になしにしたので、@btfの意向に従うべし。また、音は自分の決めた音量で行くので、やはりそれに従って然るべし。
―と、喧嘩を売るかの様な態度に出ながらそう言った。
「音は一昨日、アンタが『問題ない』と言っただろ!」とつい言葉を荒げるが、それをゲームをやっている小学2年の息子がチラッと見た。
 子供の見ている前で嫌な野郎だ、と内心思いながらも、感情はなるべく押さえ、とにかく青木と話し合わねばならない。因みに青木には小6と小5と3才の子供がいる。

 根本嫁が床のコインの事で
「何故、作家サイドに無断で、次々と勝手にやってしまうんですか?」  と青木に訊くが、青木はかなりの高姿勢で、まともにこちらの話しを聞こうという態度にはない。

25.遂に来た決裂の時

根本嫁が、コインをどうしても、@btf側が外すというなら、ならば、と次の案をだす

根本嫁「コインの件、ツィッターでアップしている方がいらして、それを見て、楽しみにして来るお客さんもいるとおもうんです。
『事情があって外しましたが、本来はこうでした』と、写真とお詫びの文章を並べるべきじゃないですか?」
青木「何なの写真って?」
根本嫁「ツィッターにある床の画像です」
青木「あれは、だから、法律にふれるらしいの。
そんなのは、こちら(@btf)がそういう事をしたという、証拠になるから、絶対にやりたくない」
根本嫁「でも、ツィッターで画像が上がっていて、皆、それをやってる事自体、もう知られてることじゃないんですか?」
 すると青木は「フン」と蔑む様にこう言った。
「ツィッターなんて、あんなもんは、勝手にやっててくれればいい」
嫁が「では、写真はともかく」と、ちょっと譲り、一文を掲げる件について
「そこはビーティーエフの都合なので、、ビーティーエフ側からの『クレームが入ってしまったので取り外しました』という説明と、『楽しみに見に来た方申し訳ありません』という、お詫びの文章を、そこに置いて戴かないと‥」
 すると青木はムッとして「こちら(@btf)の問題じゃないでしょ。
これは〈作家側の問題〉だから、そんな事はこちらには出来ないよ。
あなたの言ってる意味が分からない」
根本嫁「え!でも、これは@btf側の意向で外したわけですから、@btf側の都合ですよね」青木「あなたの言ってる事が分からないんだよな。
謝罪文を出すんなら、すぐにテキストを送って貰わなきゃ。
それ、btfとしてチェックしてみて、こちらが納得する様な文面ならば、やってもいいですよ」
 と言うと青木はまたニヤリとした。
 そして、本物だろうが、オモチャだろうが、一度埋めたコインを床から引き出す際の難儀・床の損傷(取り出そうとするとコインが奥に入ってしまい、それを細い棒などで掻き出すと、床と床がポロポロと崩れる様な感覚を覚える・等)を嘆き、その後にこう言ったのだ。「実際はめ込んであるコインを取り出してみて感じたんだけど。こういうことが作家の意志というなら、会社を壊してまでやる必要はないと。そう思っている。 作家側はどう思ってるか知らないけれど、うち(ギャラリー・@btf)がそこ迄する必要は全くないわけ」
 その言い草にカチンと来て、俺は口を開いた。
「コインの件もそうだけど、音の方、やれ会社が引越して来るだの、音量が仕事の妨げだのって、全部そっちの、それもギャラリーというより会社の都合だろう?
しかも展覧会が始まってから。あの去年からの準備期間は一体何だったんだよ。しかも、そっちの言う事がその都度コロコロかわり、音だって、三日前に『音の方は、4階に関しては、うちだけだから問題ない』って面と向かって言ってただろアンタ。
それが、後からやっぱり駄目だのなんの。挙げ句、〈社内事情〉だろ、一体、作家っていうのはここのギャラリーにとって何なんだよ?」  するとギャラリーのオーナーにしてバタフライ・ストローク・株式會社代表にして、驚く程の正直男が、驚く程の正直な本音を、驚く程の直球でぶつけて来るのだった 青木「まず、会社ありきであって、会社の環境や方針を壊してまで作家を優先するような事ではないし、会社あっての作家だから、作家のためにそこまでする必要はない。音に関しては、うちはBGMとして、というのがまず基本で、今回3日間試したけれども、引越し中、デザイナーの電話の声も聞こえない、仕事に支障が出て来る。だから、うちとしては、3日間、チャレンジしてしてみたよ。だけど、出来なかった。と、いう事で、だから、(オレ=青木が)指定した音量に下げて欲しいので。つまり、それ以上の音量は有り得ないわけで、それ以下なら有り得る、と」

 色んな人間に過去出くわして来たが、奥崎謙三ではあるまいし、ここまで真っ正直に自分の思いをこれ程に真っ正面から相手にぶつけて来る男は神軍平等兵以外では初めてだった。
「あのう…」と根本嫁 「ギャラリーというのは、作家あってのギャラリーじゃあないんですか?」
 と訊くと
 青木はキッパリ
「いや、会社でしょ」
 と、断言した。
 そして、勝どき橋のギャラリー@btfを運営する、そのオーナー青木克憲は続けてこうも断言した。
「会社あってのギャラリーで、ギャラリーあっての作家。
ギャラリーなしに作家は有り得ないよ。
…でしょう?」
「………」
「じゃあ、これでよろしいですね?」
根本嫁「よろしくないですが、そうしろっで事ですよね?」
青木「そうですよ。会社あっての作家ですから従って下さい。
じゃあ、次の仕事があるので失礼しますよ」
 と、青木退席。
 俺と嫁は、青木克憲のあまりにもの、言い草に一瞬放心状態となる。
 根本嫁が溜め息混じりに呟く。
「…撤収かな」
「撤収以外ないだろう…」
 と、俺が頷く。

 すると側に立っていたSさんが、慌てて、青木を呼びに走った。

 すると青木が‐本当に小憎らしい、ニヤニヤと不敵に笑いながら、こちらに向かい
「根本さん、撤収ですか?
決めて下さい。早く決めた方がいいんじゃないんですか」
 と言うと携帯を取り出して
「決めてくれたら、すぐにツィッターで流しますよ。さあ、早く決めて下さい、撤収するんでしょ」
 こうして青木が俺を挑発する。
 小2の息子が、ゲームをやっている手を止めては、大人ふたりをチラチラと見る。
 挑発に乗ってはいかんと、青木に取り合わず、俺は蛭子さんに電話をかけ状況を説明する。
 電話の向こうで蛭子さんは「え~、そんな~、ちょ、ちょっと待ってよ~、え~、やめないでよ~、勘弁してよ、俺が行く迄ちょっと待っててよ~。…もぅ困ったなあ~」と音をあげている。

 片や、嫁は東京キララ社の中村さんに電話していた。
根本嫁「こちらの意見、全く聞く気なさそうなので、『ギャラリーあっての作家』だと」

 と、それを耳にするや間髪を入れず、青木が
「違う!ギャラリーじゃなくて『会社』あってのね。
そこ、間違えないで!」
 と、言うと、また、青木が俺に絡んで来る。
「告知の方早くした方が、リリーさんのトークショー、根本さんの都合でキャンセルという事でよろしいですね?告知するので、(うち=@btfでなく)根本さん側の都合で、と告知していいですね、ね、いいですね」
 小2の息子がゲームの手を止めている。
「この野郎、子供の目の前で…」と心の中で呟きつつ冷静であろうと努める。
根本「いや、そちらビーティーエフに問題があってこうなってるんでしょ。何故こちらの都合なんだよ。作家より会社がエライだのなんの言われて、そのままやってら、そりゃ作家としておかしいだろう」
青木「言ってる事が分からない。
btfとしては、べつに『やめてくれ』とは言ってないし。だから、これは根本さん側の都合だよ。うちはやって貰ってて構わないけど、でも、今から撤収するんでしょ?」と言いながら、時間を気にして、出て行こうとする青木だったが、最後、Sさんにこうひと言いった。
「じゃあ、あとは聞いといて」

 ハラワタが煮えくりかえっている俺に向かい、Sさんが「トークショーだけでも出て貰えませんか」と訊いて来た。俺が「ギャラリーあっての作家、だからこちらの言う事に従えって、ここまでなめられた事のは初めてだよ、音の事だって話し合う気すらないんじゃ。オレの言う事に従えったって従うわけない。もうこの展覧会は終りだよ」と言うと、Sさんは
「個人的には、僕もそう思います、全くその通りです。でも、お客様はもういらしてるんで、せめて、今夜のトークショーだけでも出て頂けませんか」

 そこへ蛭子さんも駆け付ける。
「根本さん、頼むよ、お客さんは関係ないから、ちゃんとトークショーは出て楽しませないと」

 結局、その後、リリーさんとのトークショーは出て、その日は会場を封鎖のみして、翌日の撤収に備える事にした。

会社あってのギャラリーで、ギャラリーあっての作家。
ギャラリーなしに作家は有り得ない。
…でしょう?
(青木克憲・ギャラリー@btfオーナー)

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26.公開撤収から最終日まで

撤収にあたり。3階Bスペースの共同スペース展示物のうち、根本単独作品、靴、其風画白(伯)、伏見さんのふたつの富士山、マスク・ダディ&マスク・ベビーによる「タートルヘッズスープ」のポスター、河村康輔との共作、パキートとのコラボなどは一緒に撤収。蛭子さん&根本の共作10点は「親権、養育権は蛭子さんに」などと戯れに言って、そのまま置いて行く事にした。
 その他に、23日トークショーゲストの佐川一政さんの絵と、同じく司会を務める五所純子さんのマンタクプロジェクトのポスター、それから水谷伸之カメラマン撮影、蛭子さんと根本のツーショット写真は3Bに残し、それらの作品に関する権限は総て蛭子さんに委ねた。明けて2月10日。@btf側は手早く館内の貼紙やWeb上で「2月16日(土)、2月23日(土)に予定されていた根本敬氏のトークショーは中止となりました。蛭子能収氏の作品展示とトークショーへの出演は予定通り行います。楽しみにされていた方々におわび申上げます」の告知をアップする。この展覧会に関して、@btf側が唯一手早く告知したのはこの件だけだ。それはさておき、オープンの11時から、ツィッターなどで「公開撤収」を知った沢山の方々が集まり入れかわり立ちかわり作業を手伝って下さった。 その中には、昨日決裂直前に会場を訪れていた都築響一さん(メルマガの取材兼ねての参上)、そしてジゴロ伏見直樹先生もおられて、恐れ入った。
16日水曜日。
 展覧会並びにこの一件の取材報告が載った、都築響一さんのメールマガジンが配信され、大きな反響と波紋を呼ぶ。

 その間、こちらは急遽、決まった、両国のRRRで2月15日(金)から17日(日)の3日間「引越し開催」される、「臨機応変展」の準備に追われていた。(今回の「撤収」は事件だったようで、因みに僅か3日の間に@btfの10分の1程のRRRに5百名には満たないだろうが、4百人以上の人が押し寄せた!)

 15日。両国RRRは開場と共に来場者が絶えない。2~3時間で、@btf9日間の来場者を軽く上回る。
 午後3時頃。「ここへ来る前、ビーティーエフに行って来ました」という男性ふたりが訪れる。「ヒトいなかったでしょ?」「いません。僕らだけでした」といった話しをしていたら、蛭子&根本の共作や佐川さんの絵も展示されていなかった。それどころか3Bは閉鎖され、立ち入れなかった、という情報を得る。

 蛭子さんに電話すると「そんな話し、何もきいてない」との事。
 嫁と青林工藝舎の高市さんが、勝どきへ様子を見に行った。

 すると丁度1階エレベーター入口で、Sさんとバッタリ会った。

 早速@btf新担当キュレーターであるSさんに尋ねる。
 Sさんによれば、公開撤収の翌日、11日月曜日、オーナー青木克憲の指示により、そこに残っていた3階Bスペースの展示物は総て撤去され、その場で梱包されたという。そして、この事は翌日(12日火曜日)蛭子さんの担当芸能マネージャーにメールで伝えてあるという。とはいえどう言い訳しようが「事後報告」にはかわりない。(因みに「次回展覧会の設営中」として3Bを閉め、また急遽「棚卸し」として3Aのショップも2月いっぱい閉めたのだという)

 嫁が「蛭子さんは知らないと言ってましたよ。またルール違反ですか?それは見たい人もいると思うので、すぐに取り出して展示して下さい」と言うと、Sさんは「倉庫の奥まった所にあるので早急には取り出せません」と。
「じゃあ、なるべく早く展示して下さい」と嫁が強く言うと
「青木に伝えて置きます」との事。この上まだ「青木に‥」である。ここのこの体質はどうにもならない。

 さて、蛭子さんに伝えると、さすがの蛭子さんも、@btfが性懲りもなく、自分に無断で撤去がなされていたと知り不快をあらわにする。尚、「火曜日に蛭子さん側にしたメール」だが、マネージャー氏がうっかり見落としていたと後日分かる。マネージャー氏はそもそも「根本敬」が何なのかよく知らないし、何故途中で撤収したかも分かってないと思う‥。
 どうあれ、青木克憲は蛭子さんをも舐めていた。
 しかし、順を追うと、それは13日(水)都築さんのメルマガが配信される迄の事だ。

「(画廊との間で展示をめぐっての小さなトラブルなら書ききれないぐらい経験してきたが)そういうことはすべて展覧会が始まる前、ステージの幕が開く前までのこと」
‐中略‐
「ふつうにオープニングパーティを開き、問題を起こしたキュレイターを急遽解雇してまで展覧会続行を決めながら、開始1週間でふたりのアーティストのひとりを失うという今回の展覧会は、だから明らかに異常きわまる事態だ」
‐中略‐
そして都築さんはこう所感を延べて本文を結ぶ「運営側とアーティストが対立することは、ぜんぜん珍しいことじゃない。でも今回の展覧会中止で、根本敬はなにも失わなかったし、すでにツイッターでのおびただしいツイートラインを見ればわかるように、@btfが失ったイメージの大きさは計り知れない。それは企業のダメージ・コントロールという冷静な観点から見ても、最悪のチョイスだった」

(都築響一メールマガジン ROADSIDERS' weekly 2013/02/13号 Vol.054 より引用)

 青木克憲と都築さんは、フェイスブックだけでもかなりの共通の知人が繋がっている。ましてや実に狭いせまい業界である。
 青木克憲は沢山の知人より、この一件についての問合せを受け、或いは言及され、時にたしなめられる。そして…
「企業のダメージ・コントロールとしても最悪のチョイスだった」と、ようやく「作家より会社が1番」というこのギャラリーオーナーでもある男は事の重大さにおののく。
 13日土曜日。トークショー(ゲスト・山野一さん、山ノ井靖さん)を前に楽屋である3Aのショップスペースにいる蛭子さんの前に青木克憲が現われた。そして「蛭子さん、この度は本当にすみませんでした」と詫びる。蛭子さんが「根本さん凄く怒ってますよ。悪いのは青木さんだと思いますよ」と蛭子さんにしては強い口調で言った。青木は「……」と無言だったという。蛭子さんによれば、「あの青木ってヒト何でいつもあんなニヤニヤしてんやろうね、俺が今みたいに言った時もずっとニヤニヤしたままで何も言わんかった」との事だ。が、他の目撃者によれば「蛭子さんすみませんでした」と珍しく平身低頭する青木に、あのいつもの鷹揚な態度はなく、それどころかシドロモドロで、かなり憔悴した様子だったという。

 その時、蛭子さんが直接青木に、梱包した展示物を総て取り出して、自分のスペースである4Aに飾るように指示。
 当然、こうなれば、青木は例え企業イメージを大きく損なう「パリ人肉食事件」の猟奇画だろうと、「総て蛭子さんのご希望通り設営致します」と、最早承諾するより他はない。

 翌日、一旦梱包された3階Bスペースの展示物が、蛭子スペースの始めから展示されていた作品を次々にずらして、俄かに作ったスペースに「とにかくこの上、蛭子さんまで怒らせ撤収なんかされては大変」と、そういった焦りだけで、最早、デザインもバランス感覚も何もなく、繰り返すが「蛭子さんまでキャンセルされては一大事」という焦躁感だけで、無理矢理に再展示された作品は、当初のキュレーションにおける意図も完全に御破算となり、また、バタフライストローク側の本業であるグラフィックとしても実に無残なものとなった。
 共作10枚(総てB全)など3枚(ヨコイチの作品3枚を上から下へ3点壁に貼り付ける)しか展示スペースを捻出出来ず、残り7枚は壁に立て掛けられよれていた。

 どうしようもなさについて枚挙するにいとまはないが、印象に残るどうしようもなさとして、蛭子口のエレベーターが空いた真正面にある「大阪城入口」のすぐ右横に五所さんのあの「マンタク募集!」のポスターが貼られていた。
 とはいえ、再展示された2月14日(日)から最終日の24日まで、1度立った悪い評判は只でさえ行きにくい勝鬨橋への客足をますます遠ざけた。
 一週間後のトーク。危ぶまれながらも、ゲストに佐川一政さん、司会・五所純子さんという布陣で催行された「@btfプレゼンツ・パリ人肉食事件・佐川一政VS蛭子能収」が無事終了したのは、既にこちらの預り知らぬところで(神様プロダクションの手中で)@btf問題はケリがついてしまっている証かもしれない。‥どんなケリかはさておき。

24日最終日。
 寒空の下、勝鬨橋・近富倉庫4階Aスペースで開催されていた、という「蛭子能収展」は最後まで閑散としたまま、寂しく幕を閉じた。

「絵を売る展覧会にしましょう」とTjが息巻いていた、「売るための展覧会」のはずだったが、終わってみれば売れたのは蛭子さん作品1点「崖から落ちる」(B全・ボードにマーカー)\120、000+税
 と蛭子&根本共作「正月」(B全・ボードにアクリル・マーカー)1点\150、000(+税)の計2点計¥270、000(+税)だった。
 「崖から落ちる」を買って下さったのは蛭子さんの知り合いの俳優の方、共作の「正月」を買って下さったのは高知県からみえた漫画家の方だった。
 展覧会は大失敗に終わった。この大失敗は@btfにとっては大失態である。
 あまりにも惨憺たる結果に、神宮前のGalaxyというスペースが、「自由自在と臨機応変の勝敗なき勝負展」のやり直しを、と声をかけてくれた。が、蛭子さんが「もう展覧会はやりたくない」と周囲の勧めにも耳を貸さず、猛烈に固辞。俺は勿論、青林工藝舎の手塚さんの説得にも、ハッテンバプロダクション松本GMだろうと、あげく、奥さんだろうととにかく「絶対にもう嫌だ」と取り付く島なし。あげく根本の電話にも出なくなるしまつ。しかしこちらも粘る。あんなまともな展覧会にもなりようのなかった、糞みたいな最悪の画廊@btfが大失敗に終わるのは当たり前で、そこでくじけて貰うわけにも、今後の事、年齢の事など考えてもやすやすと、そのままにするわけにいかず、とにかく「蛭子さん、今度は最低百万円は大丈夫」などと粘る。
 そんな状態が1ヶ月半程続く。
 蛭子さんに電話した際、やはり留守電だった。傍らに丁度、リリーさんがいたので代わって、「蛭子さん、絵が欲しいのでもう1度展覧会やって下さい」とのメッセージを残して貰う。リリーさんによれば「あそこ(@btf)にお金がはいると思うと買いたくなかった。よそで買えたら」との事だったのでそう伝言を残して貰ったのだ。そうしてようやく蛭子さんから「分かったよ、負けたよ、やるよ」の電話を折り返し貰った。長かった。

 他にも「他でやってくれたら全部買ってやる!理由はbtfが大嫌いだから」という方も現われるなど、「とにかくビーティーエフはひど過ぎた」と仕切り直しの声も多々あがっている。そういうわけで蛭子さんも承諾したので、神宮前にスペースを代え、蛭子さんと4A展示作品を中心に「自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)勝敗なき勝負」やり直し展を4月29日(月曜日)から5月12日(日曜日)Galaxyで開催する事となりました。

(この連載「顛末」はあと1回ありますが、以下は神宮前Galaxyの告知です)

タイトル◆「自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負」やり直し展

日どり◆4月29日(月曜日)~5月12日(日曜日)※4月28日午後公開設営あり(お気軽に来場されたし)期間中無休
開場時間◆午後12時~19時※連日19時から20時まで83年平口広美撮影編集の30年前の蛭子(延々と団地の井戸で鶏の臓物を洗い、最後、根本とふたりで裏ビデオを見ながらすき焼を食べる)主演の映像観賞会あり。
尚、初日29日は撮った平口さんがゲストに来て、30年ぶりにその映像を根本と見ながら当時を振返る。
他のイベント◆ラリーズのライヴ映像による追体験ナイト他、随時Galaxyのホームページ (http://www.thegalaxy.jp/) ツィッター(https://twitter.com/Galaxy_Gingakei) 当根本敬ホームページにて告知します

場所◆Galaxy-銀河系
〒150‐0001 渋谷区神宮前5-27‐7‐B1
電話(有り!!!)◆ 03(6427)2099


「展覧会やりましょう!」「いや、やらん」「やれ!」「もう懲り懲り、やらんけん!」「やって!」「やらんやらん」
‥このような土俵際のせめぎ合いが続いたのだが、この原稿、会期中に入稿~発売された蛭子劇画プロダクション「自由自在と臨機応変の勝敗なき勝負AX91号」はかの様に現実化した‥

下記写真提供・川崎タカオ様 青林工藝舎様

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